自分で自分を理解することを自己理解と言います。
他者を自分のことのように考えて、理解することを他者理解と言います。
今回の記事は、「自己理解と他者理解はつながっている?自己と他者の不思議な関係」ということで、自己理解と他者理解について書いていきます。
自己を理解するのも、他者を理解するのも自分自身になりますので、この2つの理解には深い関係があります。
是非読んでみてください。
自己理解とは?自己理解の2つのパターン

自己理解と他者理解の関係を考える前に、まずは、自己理解に2つのパターンがあることを紹介しておきます。
①主観的自己理解
1つめは主観的自己理解。
「私は・・・」という主語で語られる自分の身体的、感覚的体験の表明です。
私は・・・と感じている。
私は・・・と思っている。
私は・・・が楽しい、嬉しい、などなど。
主に、自分らしく生きる、元気に生きるために必要な自己感覚です。
②客観的自己理解
2つめは、客観的自己理解です。
これは、自分を物のように捉え、自分で自分の能力や特徴を判断したり、ジャッジしたり、数値で表したり、他人と比べたりすることで生まれる自己理解です。
主に、社会の中で強調しながらうまく立ち回っていくために必要な自己感覚ですね。
自己は、他者との関係の中で生まれる

この2つの自己感覚は、多くの場合、他人との関係の中で生まれます。
主観的自己理解の生まれるとき
主観的自己理解は自分の感情や、感覚、エネルギーのそのままの表明です。
それらは、多くの場合、自分以外の環境からの反応として生まれます。
他人を見て、花をみて、動物を見て、虫を見て、空を見て・・・。
音を聞いて、言葉を聞いて、手で触れて、鼻で匂って、舌で味わって・・・。
いろいろな刺激から感じられる私の感覚、私の思い、私の感情、それらをそのままに表明することが主観的自己理解です。
人間は、人間と交流し、刺激を受けることが一番多いですから、他者との関係によって主観的自己は生まれる、と言っても過言ではありません。
客観的自己理解が生まれるとき

客観的自己理解は、主に他者との比較で生まれる自己の理解です。
自分と他者の能力を数値化し、それを比べることで自分のポジションや、役割を判断するということは、非常に客観的で社会的な自己理解です。
受験や、就職活動、また働きだしてからの営業成績など、社会には、自分が客観的に数値化される機会がたくさんあります。
最近ではSNSのフォロワーや、イイね!の数でも、自分の数値化が可能になりましたね。
SNSでも、他人と自分を数値化し、比較することによって客観的自己感覚が生まれています。
他人の数値と比較しなければ、自分の立ち位置はわかりませんので、客観的自己理解も、他人がいるからこそ生まれるわけですね。
他者の主観は主観的自己理解が深まったレベルまで理解できる

自己理解と、他者理解には直接関係があります。
たとえば、主観的自己理解は、自分の感情や、感覚、エネルギーのそのままの表明ですが、自分自身が、どれだけ主観的に自由になっているかで、他者の主観をどこまで自由に理解できるかが決まります。
自分自身が、自分の感情や、感覚、エネルギーに自由であり、特にひっかかりなく、表明できるような人は、他者のそのままの感情や、感覚、エネルギーも理解することができます。
ありのままの自分自身の体験に開かれている人は、他者のありのままの体験をそのままに受け入れることができるということですね。
逆に、主観的自己理解が上手ではなく、自分の感情、感覚、エネルギーに開かれていない人は、他者の感情、感覚、エネルギーにも適切に反応できません。
他者の感情、感覚、エネルギーを不当に拒否してしまったり、スルーしてしまったりして、他者との深い交流ができません。
客観的自己理解は、他者にもトレースされる

客観的自己理解は、自分を物のように捉え、判断したり、ジャッジしたり、数値で表したり、他人と比べたりすることで生まれる自己理解です。
これは、社会の中で自分の立ち位置を理解し、わきまえながら皆と強調していくために必要な自己感覚です。
多くの人の場合、他者を客観的に見るときは、この客観的自己理解の見方と同じ見方で見ます。
たとえば、非常に厳しい客観的自己理解を持っている人は、他者に対しても、非常に厳しい客観的理解を示すということです。
ちなみに、客観的自己理解の基準と、他者を客観的に理解する基準に大きなギャップがあるときは注意です。
この場合は、自己破壊的な行動をしてしまうか、社会の迷惑者になってしまいます。
客観的自己理解の基準は厳しく、他者を客観的に理解する基準は甘い場合

自分に厳しく、他人に甘い人のことですね。
尊敬される人物になることもありますが、やりすぎると、どんどん自分を追い詰めてしまいます。
客観的自己理解の基準は甘く、他者を客観的に理解する基準は厳しい場合
自分に甘く、他人に厳しい人のことですね。
自分のことが客観的に見えていない人もこのような態度をとることがあります。
自分に甘く、他人に厳しい人は、人に無茶な要求ができてしまいます。
そのせいで、他人をどんどん追い詰めてしまうことがあります。
自分と他者は違う存在だとわかってから他者理解は深まる

このように、自己理解を主観的自己理解と、客観的自己理解に分け、その上で、相手の主観を理解したり、相手を客観的に理解しようとすることは大事です。
他者理解は、基本的には、自分だったらというところで、感情移入したり、共感したりするのが基本です。
しかし、それ以上に大事なのは、自分と他者の違いを大事にするということです。
自分と同じに感じるところだけを受け入れて、自分と違うところを拒否していたのでは、他者理解は薄っぺらいものになっています。
他者の自分とは違う部分を知り、理解し、受け入れてこそ、他者理解は深まっていくのです。
自己理解と他者理解の不思議な関係 おわりに

「自己理解と他者理解はつながっている?自己と他者の不思議な関係」ということで書いてきました。
自己理解には、2つのパターンがあり、それぞれの自己理解のパターンで、同じように他者を理解しているのが自然であるということがわかりましたね。
そして、他者を理解するときは、自分と違う部分こそ理解し、受けいれていくことで関係は深まっていくということもわかりました。
社会でうまくやっていくためには、自他ともに、客観的に理解できることが要求されます。
しかし、せっかく人と人が出会うのですから、できれば、ありのままの感情、感覚、エネルギーの受け止め合い、主観的な理解の交流をしていきたいものですね。
そうすることで、きっと人間は、それぞれに元気を与えあっていくことができる。
私はそう考えています。
あなたにそんな深い人間交流の機会がたくさん訪れることを願っています。
黒田明彦