私は小さい頃から、優しい人になりたいという強い気持ちがありました。
しかし、残念ながら、私はまだ、優しい人になることができていません。
この記事では、あらためて優しい人ってどういう人だろうか?
そして、本当に優しい人になるということは簡単なことだろうか?
そんなところを書いていきたいと思います。
興味のあるかたは読んでみてください。
- 【本当の優しさとは?】優しい人ってどんな人?
- 相手がどんな態度で、どんな感情であろうと、平静を乱さず、落ち着いて向き合い、相手を落ち着かせてしまうような人
- 悲しい人を見たら、声をかけ、その悲しみを取り除いてくれる人
- 困っている人がいたら放っておけず、その困りごとを解決してしまう人
- いつも穏やかで、どんな時でも、他者に穏やかな言葉をかけることができる人
- 相手の気持ちを察し、自分がやられたら嫌なことは決してしない
- 相手が間違ったことをしていると思ったら、嫌われるかもしれないとわかっていても、教えてあげる人
- 自分が満ち足りていなくても他人に分け与えることができる人
- 人の悪口を決して言わず、愚痴もこぼさない人
- 嘘をつかずにいつも正直で清々しい人
- 人を外見や肩書で判断せず、誰とも平等でやり取りする人
- 他人の犠牲になっていない人
- 【本当の優しさとは?】自分に優しいと、相手に優しいが両立できるかどうか
- 【本当の優しさとは?】おわりに
【本当の優しさとは?】優しい人ってどんな人?
これから、私がなりたくてもなれなかった優しい人の特徴をいくつか書いていきます。
さて、あらためて、私にとって優しい人ってどんな人なのでしょうか?
相手がどんな態度で、どんな感情であろうと、平静を乱さず、落ち着いて向き合い、相手を落ち着かせてしまうような人
相手がどんなに取り乱していたり、威圧的だったり、不遜な態度をとっていたとしても、また感情的に暴れてしまっていても、決して平静を乱さず、落ち着いて相手とやり取りできる人は優しい人だと思います。
その落ち着いた態度によって、相手も落ち着きを取り戻せたのなら、なおステキでしょう。
しかし、残念ながら私は、相手の態度が私に対して攻撃的だと感じられたら、すぐに防衛的な態度をとってしまうし、相手の感情に巻き込まれて、一緒に怒ったり、悲しくなったりしてしまいます。
相手を落ち着かせるどころか、相手を加害者、自分を被害者のように感じ、常に反撃の態勢をとり、とても緊張してしまいます。
悲しい人を見たら、声をかけ、その悲しみを取り除いてくれる人
優しい人は、悲しんでいる人を見たら、声をかけ、その悲しみを取り除いてくれる人です。
優しい人に声をかけられると、あれほど悲しかった気持ちがどんどん落ち着いていき、気持ちが明るくなっていくことでしょう。
しかし、残念ながら、私は悲しんでいる人を見つけたら私も悲しくなってしまいます。
そして、その私の悲しみから解放されたくて、その人をいたずらに励まそうとしてしまったり、または、いたたまれなくたなって、その人から離れていきたくなります。
悲しんでいるその人は、悲しみを取り除いてもらえるどころか、もっと悲しくなってしまうことさえあります。
困っている人がいたら放っておけず、その困りごとを解決してしまう人
困っている人がいたら放っておけないのが優しい人です。
その人の問題が解決するようにと、一緒に頭を悩ませます。
また、優しい人は、その困りごとを困っている人、本人の力で解決できるように支えてあげます。
その人が次は自力でその困りごとを解決できるようにと願っているんですね。
しかし、残念ながら、私は困っている人がいても、放っておいてしまうことがあります。
私は私の日常を生きています。
仕事となれば別ですが、プライベートな時間に、他人のために割くことのできる時間はどれくらいあるでしょうか。
他人事と思えることであれば、できれば放っておきたいという気持ちがあります。
私は自分のことで精いっぱいなのです。
いつも穏やかで、どんな時でも、他者に穏やかな言葉をかけることができる人
優しい人は、心がいつも穏やかで、どんなときでも他者に穏やかな言葉をかけることができる人です。
その人の穏やかな言葉は、いつも周りの人も穏やかな気持ちにさせます。
しかし、残念ながら、私は、いつも穏やかな気持ちでいることはできません。
相手を不愉快にするかもしれないとわかりながらも、不機嫌なときは不機嫌な態度をとってしまうし、疲れているときは、黙っていたい。
そんな私は、いつも穏やかな言葉を相手にかけるなんてことはできません。
相手の気持ちを察し、自分がやられたら嫌なことは決してしない
優しい人は、相手の気持ちが自分のことのようにわかるので、自分がやられたら嫌なことは決してしません。
しかし、残念ながら私は、たまに、自分がやられたら嫌なことを他人にしてしまいます。
喧嘩している相手を嫌がらせたいというときもあれば、気づかずにやってしまっているときもあります。
相手が間違ったことをしていると思ったら、嫌われるかもしれないとわかっていても、教えてあげる人
相手が間違ったことをしていると思ったら、相手のためを思って、指摘してあげられる人は優しい人です。
しっかりと言葉を選び、相手に伝わりやすい工夫ができる人は、なお優しいです。
しかし、残念ながら私は、相手の間違いに気が付いても、一時的な反撃や、相手にどう思われてしまうかが怖くて、指摘できないときばかりです。
自分が痛まないようにと、関係の中で消極的になってしまいます。
自分が満ち足りていなくても他人に分け与えることができる人
余っているものを他者に分け与えるのはさほど難しくないかもしれません。
しかし優しい人は、自分にとって充分な量の物資を所有していなくても、それを他者に分け与えることができます。
しかし、残念ながら私は、余っているものですら積極的に他者に分け与えたい、という気持ちになれません。
今は足りているとしても、いずれ足りなくなるかもしれないと思うと不安だからです。
あまつさえ、今足りないものを分けるなんてことはできません。
分け与えようとするどころか、他人に奪われないようにと、硬くなってしまいます。
人の悪口を決して言わず、愚痴もこぼさない人
優しい人は人の悪口を決して言いません。
そして嫌なことがあっても愚痴などこぼさず、いつも朗らかです。
しかし、残念ながら私は、人の悪口、陰口を言ってしまいます。
嫌なことがあったとき、自分の権利が傷つけられた時、それを相手に真正面から抗議できないとき、相手のいないところで、心の許せる誰かに向かって、自分の正当性を主張し、相手の態度や発言についてグチグチいうのです。
それによって私はホッとし、救われてしまうのです。
嘘をつかずにいつも正直で清々しい人
優しい人は嘘をつきません。いつも正直で表裏がありません。
しかし残念ながら私は、嘘を本当に嫌がりながらも、状況によってはついてしまいます。
そして、自分では気づかなくても、本当のことを言えていないときもあります。
いつも私は正直であるなんて、正直には言えません。
人を外見や肩書で判断せず、誰とも平等でやり取りする人
優しい人は人を外見や肩書で判断せず、誰とも平等でやり取りします。
差別なんてもってのほかです。
しかし、残念ながら私は、人の外見や肩書に影響を受けてしまいます。
見えるもの、聞こえるものへの率直な反応はコントロールできません。
自分の価値観に強烈に反発するようなものには、差別的な振舞いをしてしまうことだってあります。
他人の犠牲になっていない人
優しい人というのは、上記のいろいろの優しい行動をしても、自分が他人の犠牲になることがない人です。
そういう行動が、自分の実になることを実感しており、全てが自分のための行動となっている人です。
しかし、残念ながら私は、上記のような優しい人の行動をしてしまうと、自分が犠牲になってしまいます。
自分がすり減り、元気を失い、苦しくなってしまいます。
【本当の優しさとは?】自分に優しいと、相手に優しいが両立できるかどうか
上記の優しい人の特徴と、そうなれない残念な私、という記述。
そうなれない残念な私は、嘘偽りない等身大の私、そして、私に優しい私とも考えられます。
本当に優しい人というのは、他人だけではなく、自分にも優しい人だと思います。
他人のための行動だけを繰り返し、それが自分に優しくない行動になっているのであれば、それは優しい人だと私には言えません。
私が求め、憧れたのは、本当に優しい人です。
それは、他人にとっても、自分にとっても優しい人なのです。
そして、その両立が本当に難しいから、なかなか優しい人になれないと日々もがいているわけです。
【本当の優しさとは?】おわりに
人生において、私にとって一番優しかった人は、優しくなれない私を、真正面から許してくれた人でした。
その人は、優しくなることがどれほど難しいことか、と熱弁してくれました。
その姿こそ私にとっては本当に、純粋に優しかった。
今、自分の優しさに満足出来ている人よりも、今、優しくなれない自分に嘆いている人の方が一歩も二歩も純真である。
私は、その人の姿にそれを教えてもらい、救われた気持ちになったのでした。
小さい頃から、私は優しい人になりたかった。
しかし、今、まったく優しい人になれていません。
だけど、優しい人になれない自分に、少しだけ優しくなれた気はしているのです。
黒田明彦