光のいのり

私を愛したい

止まった言葉とはたらきの言葉

止まった言葉_はたらきの言葉_積極的傾聴

止まった言葉、それは意味の決まった言葉。記号としての言葉。動かしてはいけない言葉。

はたらきの言葉、それは意味の決まりようのない言葉。そして、一瞬も留まらずに、この今も動き続けている言葉。

意味のないものを愛そう

意味のないもの_愛そう_積極的傾聴

意味のないものを愛そう。

無駄なものを愛そう。

効果の無いものを愛そう。

要らないものを愛そう。

この時間を有効に使おうとか、自分の能力を活かそうとか、最高の効率を出そうとか。

上手くいっていなければ意味がないとか。

生産的じゃないものはダメだとか。

前進できていなければダメだとか。

「価値がないものはいらない。」

そういう考え方を終わらそう。

路傍の石を愛そう

路傍の石を愛そう_積極的傾聴

路傍の石を愛そう。

自分にしか感じられないものは、他の人にしてみれば路傍の石にすぎない。

自分にしか感じられないものは、無いものと一緒だ。

何の意味もない。

何の価値もない。

それでいいんだ。

価値はなくとも愛せる。

ただ、あるものを愛せる。

自分という存在を路傍の石から宝石にしようと頑張るのではない。

ただただ、路傍の石を愛そう。

そういう生き方の方が豊かだ。

価値の無いものを愛そう。

価値の無いものに、価値をつけようとするのではなく、価値がないまま、ただただ愛そう。

価値という概念が必要なくなるように、価値の無いものを愛そう。

無駄な時間を愛そう

無駄な時間を愛そう_積極的傾聴

無駄な時間を愛そう。

何にも役に立っていない。

何の積み重ねにもなっていない。

未来のためじゃない時間を愛そう。

未来のためじゃなく、今のための時間を愛そう。

蝉の声を聞きながら、ボケっとしている時間。

そんな時間を愛せたら、世界は幸せだ。

愛しているよ、愛しているよ、愛しているよ。

人間は止まっていない

人間は止まっていない_積極的傾聴

理解してしまうということは、止まってしまうということだ。

だから、今人間に理解できていると思っているものは、止まっていると思っているものだけだ。

今まさに、刻々と動いているものは、とらえようがない。

今、動いていない人間などいない。

だから、誰かにとらえられている人間などいない。

評価は止まった言葉

評価は止まった言葉_積極的傾聴

生きている限り、人間は無限に動き続けている。

止まった言葉で人間を理解した気になっていても息苦しいだけだ。

人間は、はたらきの言葉と共にある。

人間も言葉も一瞬も止まっていない。

それを忘れなければ、評価という止まった言葉、概念が、人間には深刻な影響も持たなくなるだろう。

言葉のはたらきを感じて生きよう

言葉のはたらきを感じて生きる_積極的傾聴

身体の動きを感じ、言葉のはたらきを感じて生きよう。

常に身体は動いている。常に言葉もはたらいている。

その両方を忘れなければ、なにはなくとも、人生は楽しいものだ。

止まった言葉ばかりを味わって、まるで自分の身体が止まっているかのように感じ生きていたら、どんどん調子が悪くなる。

いつだって身体は動いている。言葉も無限にはたらいている。

それを感じられるように、止まった言葉を置いていこう。

言葉のはたらきを常に感じよう。

身体の動きを感じさせてくれる、動いている言葉を感じよう。

ただ、語ればいい

ただ語る_積極的傾聴

簡単さ。ただ語ればいい。

意味もなく、価値もなく、語ればいい。

わかることなど、決めることなど、一切なしに、ただただ語り続ければいい。

言葉は、はたらいている。

それを感じるには、ただただ意味もなく語ればいいんだよ。

言葉がはたらいていることを実感できれば、それだけで、少し元気になるよ。

止まった言葉は科学の言葉

止まった言葉は科学の言葉_積極的傾聴

止まった言葉。

それは、わかってしまってる言葉。

それは、意味が決まっている言葉。

もう、わかってしまっているので、動く必要のない言葉。

科学の言葉。

人間同士、当たり前のように共有できる言葉。

社会の中で、当たり前のように覚えなきゃいけない言葉。

記号としての言葉。

積み重ねができる言葉。

価値を決めることができる言葉。

比較ができる言葉。

世界は止まった言葉のお陰で、物質文明が豊かになり、精神文明が貧しくなったのだろう。

はたらきの言葉は生命の言葉

はたらきの言葉は生命の言葉

はたらきの言葉。

意味もなく、ただただ、はたらいている言葉。

常に動き、一瞬もとまっていない、言葉。

エネルギーそのもの。

生命そのもの。

誰とも共有できず、他の人にとっては価値のない言葉。

ただ、ある動き、常に、ある動き。

宇宙のはたらき。

ただただ、聞かせてもらうより他ない言葉のはたらき。

ずっとずっと動き続け、はたらき続け、到来し続けている言葉。

動きそのものの言葉。

動きこそ言葉。言葉こそ動き。

ずっとずっと聞こえて続けている言葉。

決まった意味など必要ない言葉。

意味を自由につけていい言葉。

意味がどんどん変わり続けていくのが自然な言葉。

無限の言葉。

はたらきの言葉の世界

そんな、はたらきの言葉の世界を、人間はひとりひとり、ただ生きている。

誰とも共有できぬままに。

誰とも共有する必要もないままに。

はたらきの言葉に出会う幸せ

はたらきの言葉に出会う幸せ_積極的傾聴

止まった言葉しかないと思っていては、あまりにもこの世界は不幸すぎる。

自分に出会えないなんて、自分の生命のはたらきに出会えないなんて残念だ。

止まった言葉は、世界の一部にすぎない。

動いた言葉。豊かな言葉。無限の言葉。

このはたらきの言葉に出会う。

言葉のはたらきに出会う。

それに気づき、それを忘れずに生きられる人間は幸せだ。

それができれば、世界は愛で溢れる。

愛しているよ。

愛しているよ。

愛しているよ。

はたらきの言葉を忘れてしまう人間

はたらきの言葉を忘れてしまう人間_積極的傾聴

私は、慣れ親しんだ、止まった言葉に、すぐにからめとられてしまう。

だから、はたらきの言葉に向かって祈り続ける必要があるんだ。

はたらきの言葉、言葉は一瞬も止まらず、動き続けている。

身体も一瞬も止まらず動き続けてくれている。

私だけ止まっていると感じているのは不自然だ。

だから、私も止まった言葉から離れていく。

無限の言葉のはたらきに、のっていく。

ただ、ただ、聞かせてもらう。

止まらない、流れ続けている、無限の言葉のはたらきをただただ聞かせてもらう。

それを忘れないように。

言葉のはたらきに向かって祈る。

今日も、留まることなく溢れ続けている、言葉のはたらきに向かって祈る。

語るために語るということ

語るために語る_積極的傾聴

語るということは、何かをわかろうとしてやるものではない。

今はない何かを得ようとしてやるものではない。

今はない何かを気づくために、やるのではない。

本来の言葉のはたらき、無限の言葉のはたらきを味わうため、感じるため、思い出すためにやるものなんだ。

言葉のはたらきを感じるだけで、人間は元気になっていける。

自然になっていける。

本来になっていける。

語りにより得た気づきが大事なのではない。止まっている言葉から離れ、動き出せていること、そのものが大事なのだ。

語るということ、それ自体が大事なのだ。

語るということは、言葉のはたらきと身体のはたらきを合わせる、調和の行動そのものなんだ。

語るために語る。その行動が人間の元気には必要なんだ。

止まった言葉とはたらきの言葉 おわりに

止まった言葉とはたらきの言葉_おわりに_積極的傾聴

今回はあえて、心という表現を避けて書いてみた。

私にとって心は止まりやすいもの、わかってしまいやすいもののような気がしてね。

止まった言葉、はたらきの言葉。

はたらきとしての言葉を感じることができる人間。

そんなふうになるために、積極的傾聴の学習はあるのだと今思う。

愛しているよ。

愛しているよ。

愛しているよ。

黒田明彦

黒田明彦の電話で積極的傾聴60分3000円

あなたのもとに届いている、あなただけの言葉、聞かせてください。

あなたを救うために、あなたの身にやってくる言葉と出会うための積極的傾聴。