自分の心を軽くするために、
自分の感情を解放するために、
人間的に成長するために、
積極的傾聴を受けようと決心して、頑張ってみたのに、
それが苦しくなってしまったってこと、ありますよね。
今回は、「積極的傾聴で聞いてもらうのが苦しくなってしまう理由を6つ考えてみた」ということで書いてみました。
実際によくある、積極的傾聴が苦しくなってしまう場面ですので、是非参考にしてみてください。
積極的傾聴が苦しい①なかなか自分と向き合えない苦しさ

積極的傾聴でのやりとりは、基本的に自分自身の言葉との深い対話がメインです。
自分の声にした言葉と向き合いながら、少しずつありのままの自分を受け入れていけようになるのが目標です。
しかし、なかなか自分自身の心や身体にピッタリくる言葉が浮かんでこないことがあります。
心がモヤモヤはしているんだけど、それが上手く言葉にできない。
言いたい、スッキリしたい、わかってもらいたいのに言葉にできない。
傾聴者になんだか申し訳ない。
そんなふうに苦しくなっていってしまうことがあります。
自分の気持ちは誰かに教えてもらえるわけではありません。
もちろん傾聴者も全力で手伝ってくれますが、基本的には、自分で言葉を声にしながら、なんとか自分で手繰り寄せるしかないのです。
だけど、苦しみながらも、なんとか自分にピッタリくる言葉に出会えた時は、とてもスッキリとした気分になりますよ。
積極的傾聴が苦しい②傾聴者が相手でも言葉を選んでしまう苦しさ

どんな傾聴者が相手でも、そうそう信用しきれるわけではありません。
本当はこう思っているんだけど、それを言ったら傾聴者にどう思われるか分からない。
だから、自分の正直な気持ちと裏腹なことを、積極的傾聴の場でも言ってしまう。
もう、何が本音か自分でもわからない。
傾聴者のリアクションに怯えて、言葉を選び、当たり障りないことしか言えない。
そんな積極的傾聴場面は苦しいですね。
この苦しみは、少しずつ少しずつ傾聴者との信頼関係が出来てくれば楽になります。
他人に言うのがこわいようなことでも、この傾聴者には言える。
そんな関係になれるよう、じっくり、じっくりと取り組んでみてくださいね。
積極的傾聴が苦しい③傾聴者に依存できない苦しさ

積極的傾聴は、語り手の語る言葉を中心にして進みます。
傾聴者の指示に従って、傾聴者の言う通りにしていれば、問題を解決してもらえるということはありません。
普段から、依存的なコミュニケーションに慣れている人は、自分中心のコミュニケーションをしなければならないというだけで苦しいでしょう。
「なんで何も言ってくれないの?」
「聞いてもらうだけじゃ意味がないよ」
自分ではどうにもならないから、傾聴者を頼っているのに、何もしてくれないなんて!
そう感じてしまう人は、積極的傾聴がとても苦しいものになってしまうでしょう。
これは、傾聴者の前で、傾聴者への依存心をすべて吐き出して、それに向き合うことができるようになれば楽になります。
なかなか一筋縄ではいかないところでしょうが。
積極的傾聴が苦しい④沈黙の苦しさ

傾聴者が何も話してくれないから、沈黙が続いてしまう。
沈黙がこわいから、それを埋めるために、他愛のない話をしてしまう。
いつも沈黙を埋めるために話し出す。
なんだか、気を遣いすぎて疲れてしまった・・・。
積極的傾聴の沈黙をそんなふうに感じてしまったら苦しいですね。
積極的傾聴の時間は、すべて語り手である、あなたのための時間です。
その沈黙を傾聴者への気遣いのための時間としてしまうのではなく、ただ自分を大事にする時間だと感じられるようになれるといいですね。
積極的傾聴が苦しい⑤傾聴者にいろんな感情が湧いてしまう苦しさ

積極的傾聴の最中や、積極的傾聴が終わったあとなどに、傾聴者に対していろんな感情がわいてしまう苦しさがあります。
それは、怒り、悲しみ、尊敬、信頼、敬愛、恋愛感情など様々です。
ステキな気持ちだけならまだ良いのですが、感情には本当に辛いものもあります。
そういう辛い感情を味わうのはとても苦しいですね。
積極的傾聴場面、またはその前後に傾聴者に対して強く感じる感情は、他の誰かへ向かうべき感情の投影であることが多いです。
そして、それらは、真っ直ぐには表明できず、味わいきれないほど、激しい感情であることが多いのです。
積極的傾聴場面で、傾聴者にしっかりと鏡となってもらって、その激しい感情を表出しきることができればいいですね。
人間の精神の成長にとって重要な場面ですが、傾聴者も語り手も、実際は死にものぐるいのところでしょうね。
積極的傾聴が苦しい⑥傾聴者に理解してもらえない苦しさ

せっかく勇気を出して、自分のところを語っても、傾聴者に全く理解してもらえなかったと感じるときはあります。
そういうときは本当に苦しいですね。
言わなきゃよかった。
来なきゃよかった。
積極的傾聴なんか受けなきゃよかった。
そんな気持ちに押しつぶされそうになります。
たとえ、傾聴者に理解されなくても、自分の気持ちが声になり、一度自分の耳に聞こえたというのは、大事なプロセスです。
少しでも自分の気持ちが声になったのであれば、それは無駄になるということがありません。
気づきにくいかもしれませんが、必ずなにか建設的な影響が起こります。
そして、もうひとつ。
これは、なかなかのチャレンジになるかもしれませんが、自分の気持ちを語ったのに、それが傾聴者に理解されなかったと感じたときは、是非その気持ちを声にしてほしいのです。
そこから、また深い洞察学習が生まれる可能性はとても高いです。
わかってもらえなかったと感じたことを隠さず、それもそのまま声にしてみる。
それができれば、積極的傾聴場面は飛躍的に進み、あなたの成長につながることでしょう。
積極的傾聴が苦しい理由を6つ考えてみた、おわりに

「積極的傾聴・聞いてもらうことが苦しくなってしまう理由を6つ考えてみた」ということで書いてきました。
積極的傾聴によって聞いてもらう苦しさには、自分の心の深い部分になかなか到達できない苦しさと、自分の心の深い部分に到達してしまっているからこその苦しさの両方があることがわかりましたね。
積極的傾聴場面における、語り手の苦しみは、傾聴者の苦しみでもあります。
いつも同じ苦しみにぶち当たって、傾聴者を代えている人は、是非、積極的傾聴の際に感じている苦しみを、直接傾聴者に向けて話してみてくださいね。
生の、ありのままの自分の感情に、ググッと近寄ることができ、いつも以上に深く素晴らしい積極的傾聴になるかもしれませんよ。
黒田明彦