あまりにもいろんな言葉が来すぎて、居てもたってもいられなくなった。
変わりたい。
変わらなきゃ。
ずっとそんな言葉が来ていたような気がする。
そんな私の今の唄。
たった独りの人間

積極的傾聴の先生から、聞かせていただいた言葉。
この言葉に出会ったときには、不思議な気持ちになった。
そして、救われた気がした。
宇宙でたった独りの人間。
私と同じ人間は一人もいない。
私がこの言葉に救われたのは、私は、母のようになってしまうのではないか?と心底揺れていたからだ。
私は、私。
母は、母。
それでしかありえない。
理解しあうことはできないし、ましてや同じになるなんてことは決してない。
それが事実。
全身全霊、渾身、そんな先生の言葉が私の身体と心を貫いた。
助かった。
そんな言葉が聞こえてきた。
感じるものとわかるもの

母とのことは、わりとスッキリしたんだ。
母がウワーッてなってたら、私もそうならなければいけない。
そんな感じはなくなった。
私もウワーッてなるけれど、私のままでウワーッてなれる感じ。
そういう言葉になるところ。
だけど、他の人とのやりとりでは、そんなにスッキリしないまま。
いろんな言葉を聞くたびに、私は、グワーッと反応する。
「私と、相手は別の存在ですよ」と、先生の声が聞こえたって、なんか、グワーッと身体がなる。
グワーッて身体がなっちゃうから、別だとは思えなかったんだ。
私と相手がつながっている。
そんな言葉になるような、身体の反応は在ったんだよ。
私にとって、グワーッてなる身体の反応が、感じることであり、たった独りの人間という言葉は、頭でわかっていることなだけだった。
だから、あまり役に立たなかったんだよ。
母以外の人にはね。
比較の言葉がズバババッとやってくる

一人でなんとかしようとしたけれど、なかなか仕事がなくってね。
いろんな言葉が聞こえてきた。
多くの言葉は、比較の言葉。
私とその他の人を比べる言葉。
どんどんどんどん聞こえてくる。
ズバッ、ズザッ、刺さっていくんだ。
言葉が私を刺しぬいていく。
まだ誰の声にもなっていない言葉。
何の音もない言葉が。
ズババババッ!
どんどん私に向かってやってくる。
たまらないよ。
人と比べることで成立している私という感覚。
人と比べ、否定することで確認されていく私。
グサグサッ、ドーン、ズグズグなんだ。
それでも今も生かされている。
相対的思考と絶対的思考

積極的傾聴の先生の本を読んでね、ハッとする言葉に出会った。
絶対という言葉。
対が絶える。
そう、絶対ってそういう言葉なんだ。
絶対って、比べようがない。
比べることができない。
そんな世界を聞かせてくれる言葉。
価値という概念が成立しない。
ただ、在る。
それで十分、それで完全。
そんな世界。
在るものすべてが唯一。
全てがあるだけで、そのままかけがえのないもの。
存在=尊重としか言いようのない世界。
これって、たった独りの人間を指す世界でもあるんだ。
そっか、たった独りの人間って、絶対人間なんだ。
この社会と私の世界

私はこの社会は、相対的もので溢れていると思っていた。
比べ、比べられることで発生する価値によって、支配される社会だと思っていた。
だけど、それは、私の世界のできごとだったんだ。
私の世界が相対的な言葉で溢れていた。
私は相対人間だった。
比較し、価値づけ、わかってしまっている言葉で溢れていたのは、この私だったんだ。
グワワワワーッってなるわけなんだ。
グサグサグサグサになるわけなんだよ。
それが自然だったんだ。
絶対人間になりたいんだ

私は変わるんだ。
私は、相対人間から、絶対人間に変わるんだ。
そんな言葉がやってきた。
思うだけじゃないんだよ。
言葉が変わるんだ。
私にやってくる言葉、その言葉が、常に相対的な言葉かどうか。
相対的が香る言葉かどうか、常に検討する。
そして、相対的じゃない言葉に言い換えていく。
まずは、私の言葉から言い換えていくんだ。
注目するんだ。
私自身の言葉をずっと見つめるんだ。
どう言い換えれば、より相対的じゃなくなるか。
もう、そればっかりやるんだ。
より相対的じゃない言葉で語り、書き、聞き、読むこと。
私の世界の言葉が、比べにくい言葉ばかりになるように。
これが始まった。
ワクワクだ。
相対的な言葉は理解しやすい言葉

あらためて、相対的な言葉にお別れしてみようと思ってやっていると、相対的な言葉って、私のことを理解しやすい言葉、私のことをわかってしまいやすい言葉だってあらためて感じる。
楽しい
嬉しい
苦しい
楽
辛い
たとえば、これだって、相対的な言葉。
意外と感情の多くも相対的な言葉だったりするからフワフワだ。
相対的な言葉は、私をわかってしまいやすい言葉。
相対的な言葉とお別れしていけば、私は、もっと私をわからないものにできる。
私のわからない私、私にわかられてしまわない私になることが絶対人間の道のような気がするんだよ。
私のわからない私は、他の誰にもわかられない私でもある。
なんか、それって、シュッとする。
シュッとするよ。
そして、私にわかられてしまわない私になることは、相手をわかってしまわない私にもつながっていく。
相手をわかることができない。
そこにどんどんスッとしていく。
相手をわかることができなければ、相手をどこまでもたった独りの人間として聞いていけるようになる。
なるんだ。
絶対思考人間
まだまだ、相対的な言葉とお別れし始めたばかりだけど、続けることができれば、どんどん絶対的な言葉が私にくるようになるよ。
どんな言葉がくるかはまったくわからないけどね。
私自身の言葉に注目し、私自身の言葉を丁寧に言い換えていけば、世界が変わる。
私の世界は私の言葉でできているからね。
変わる、変わるよ。
黒田明彦