光のいのり

絶対思考と相対思考

絶対思考人間になるための修行

積極的傾聴_絶対思考人間

今の私は、絶対という言葉に惹かれて惹かれて仕方がない。

私は今、絶対思考で反応できる人間になりたいんだ。

絶対思考

積極的傾聴_絶対思考

絶対とは対が絶えるということ。

そこから聞こえてくるのはたった独りの人間。

何者とも比べる必要のない唯一無二の存在。

絶対は、比べるという概念が成立しない世界だから、価値という概念も存在しない。

ゆえに在るだけで完全。

在るだけで十分。

それは全ての人間、全ての生き物、全ての物に言える。

そんな絶対的感覚を身体にズンズン刻んでいきたい。

いかにして絶対的感覚を身体に刻んでいくか。

私の中では、絶対の反対が相対だ。

絶対的感覚の身につけ方がわからなくても、相対的感覚からおさらばできればできるほど、絶対的感覚になっていけるに違いない。

相対思考

積極的傾聴_相対思考

相対とは、絶対の逆で、比べるということそのもの。

AとBを比較することで価値が決まるというのが相対的思考。

全ての価値は相対的にしか生まれない。

私の世界は、この相対的思考と、価値で溢れている。

相対的世界に痛む私

私は今、この価値という概念に、とてつもなく痛みを感じている。

ここ数年私がのたうち回っている感覚は、

「他人に、自分と他人とを比べてもらうことで価値を見いだしてもらわない限り仕事が生まれない。」

これは多くの人にとっては、当たり前の思考なのかもしれない。

多くの人にとっては、当たり前の戦場なのかもしれない。

しかし、私はその線上(戦場)で生きるのが痛くて痛くて仕方がない。

仕事がなかなか生まれないという現状がある。

私よりも相対的に優れているという人がたくさんいる現状がある。

相対的な世界では、私は私に絶望するばかりだった。

相対的な世界では、私は私じゃないものにならなきゃいけない気がしてならなかった。

おさらばしたいんだ

痛い、痛い、痛い。

私は、この痛みとおさらばしたいんだ。

だから、少しずつでいい、私はこの価値という考え方、相対的な世界からお別れしていきたいんだ。

私にやってくる相対的な言葉にいちいち注目して、それを言い換えていく。

私の世界から相対的な言葉をできるだけ減らす。

そんな修業が必要だ。

言い換える修行

積極的傾聴_言い換える修行

昔、「~はいけない」という言葉を自分の中から消す修行をしていたのを思い出して懐かしい。

「~はいけない」という言葉が頭に浮かぶたびに、自分で言葉を言い換えていく修行だ。

「~はいけない」を言い換えるたびに、誰かから禁止されている思考を、自分なりの思考で考え直すことができる。

ある程度言い換えの修行が進むと、一時的にその言葉が自分の中から消えてしまって、逆に不自由になってしまうが、さらに修行が進むと今度は、抵抗なくその言葉も味わえるようになる。

誰かから禁止されている感覚ではなく、自分の意思で禁止する感覚で、「~はいけない」という言葉が使えるようになるんだ。

その言葉に振り回されることなく、落ち着いてその言葉も自分の一部になる感じというかな。

相対的な言葉

積極的傾聴_相対的な言葉

相対的な言葉を自分の世界から消していくには、相対的な言葉を見つけたら、それを言い換えるという修行が必要だ。

相対的な言葉は今、私の世界に溢れて溢れて溢れている。

相対的な言葉とはなにか?

相対的な言葉とは、まずは単純に、自分と他人を比べるような言葉だ。

  • 私より相手のほうが優れている、劣っている。
  • 私より相手のほうが頭が良い、悪い。
  • 私より相手のほうが仕事ができる、できない。
  • 私より相手のほうが魅力がある、ない。

しかし、果たして、この社会の中で人と自分を比べる言葉を排除しながら、どれくらいまともに生活していけるものだろうか?

たとえば、上の文で言うと、「まとも」が相対的な言葉だ。

人と比べなければ、まともという価値は生まれないから。

自分と自分を比べる

積極的傾聴_自分と自分を比べる

もうひとつは、自分の中で、自分と自分を比べた言葉だ。

たとえば、

  • 昨日の私より調子が良い、悪い
  • 1年前の私よりも優れている、劣っている
  • 5年前の私よりも老いてしまった、力に溢れている
  • このままだと3年後の私は今よりもひどいことになってしまう

過去の自分と今の自分を比べること、あとは、今の自分と未来の自分を想像して比べて不安になること、これができてしまう。

これもとっても相対的な言葉だよな。

自己否定、自己肯定

肯定であろうと否定であろうと、何かと何かを比べることによって生まれた価値の影響を受けてのできごとだ。

自己否定は苦しいから、自己肯定をしましょう。

どちらも相対的であるから、今の私には心許ない。

相対的思考は根深い比べ癖

相対的思考は、必ずしも他人と比べてのところではなくてもできてしまう。

相対的思考とは比べ癖のことだ。

これは、なかなか、なかなかに根深い。

例えば、その思考は人間だけにとどまらない。

AとBの物を比べて、Aの方が便利。Bの方が軽い。Aの方が赤い。Bの方が柔らかい。

これも、相対的思考なんだ。

物の特徴を理解・説明するのに、私は相対的思考に頼っている。

私は人だけではなく、物事を相対的に捉える癖ができている。

昔、先生にエンカウンターグループの会場で会ったときに、私が「ちょっと遠い場所ですね。」とつぶやいたら、「比べてるからだよ」と先生から言葉が聞こえてイラっとしたことがある。

あれって、先生が絶対思考で反応していたってことなんだよな、とあらためて思う。

「遠い」も相対的な言葉だからね。

ともかく比べることで何かを理解・説明しようとすること、これ自体に細心の注意を払って言い換えていくことが絶対思考への道のりだ。

絶対思考になると

なんか、絶対思考になると、こわさと痛みが減るような気がするんだ。

おそらく自分自身が絶対思考人間になっていくと、相手から相対的に捉えられる、価値づけられるという体験が減っていくだろう。

その辺は感覚的にわかる。

反応が変わっていくんだ。

相手の言葉は変わらなくても、こちらの言葉の捉え方がガラッと変わる。

そうやって世界が変わるんだ。

絶対思考で反応できる人間になりたい

積極的傾聴_絶対思考で反応できる人間になりたい

絶対思考で反応できる人間になれば、自然にこわさと痛みが減る。

聞こえた言葉への反応が変わっていく感じだ。

頭で考えるだけじゃなくて、反応レベルで変化してく。

これが私の望む変化だ。

それには、徹底した言葉の言い換えの修行がどうしても必要なんだ。

私は、徹底的に相対的な言葉とおさらばして、絶対思考で反応できる人間になりたい。

なりたいんだ。

黒田明彦

黒田明彦の電話で積極的傾聴60分3000円

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あなたを救うために、あなたの身にやってくる言葉と出会うための積極的傾聴。