積極的傾聴の一番パワフルなところについて書いてみようと思う。
積極的傾聴で、人間の身体が跳ねるように喜びを現わす場面を私は何度も目撃している。
その人が自覚しているかどうかはわからないが、少なくとも私にはそう見える。
あれは何が起こっているのだろう?
それをじっくりと考察して、お伝えしてみよう。
積極的傾聴って何するの?
今回は、難しくは書かないよ。
積極的傾聴ってのは、語る人がいて、聞かせていただく人(カウンセラー)がいる場のこと。
それだけ。
聞かせていただくってどういうこと?

積極的傾聴者は、語り手の言葉の相(すがた)をそのまま声にして、語り手に届けようとする。
それが、聞かせていただくっていうことさ。
積極的傾聴者が感想を言ったりなんだりと、オマケがつくこともあるけどね。
オウム返し?
まぁ、そう表面的に頭だけでわかってしまうと、積極的傾聴はなかなか面白くなってこないよ。
積極的傾聴すると、語る人はどうなるの?
語る人が、語る人の身に添う言葉が言えていれば言えているときほど、積極的傾聴者に、自分の言葉を届けてもらうことによって、語る人の身体は、跳ねるように喜ぶ。
元気が出る。
そして心が癒える。
私に見えるところでは、これは、語る人の意識を超えた、身体レベルの反応だ。
だから、なんでそんなに、喜べて、元気が出て、心が癒されてしまうのか、語る人自身もよくわかってないことが多い。
だけど、本物の人間交流って、そういう深さで行われるもんなんだよ。
そういう交流が出来ている時、積極的傾聴者も本当に嬉しいもんなんだ。
なんでそんなに喜べて、元気が出て、心が癒されるの?

たしかに不思議なんだ。
私も、そうなることがわかってやってきたわけではない。
わからんままにやっているうちに、喜び、元気が出て、心が癒されていく人に出会えていった。
なぜか?が、わかるよりも、出会った方が先だったんだ。
だから、わからないままに、やり続けてみることができた。
私が出会ってきた、この人間の動きって、私はとてもとても深いものだと思うんだよ。
これから、その深さに少しだけふれてみるよ。
積極的傾聴者は、絶対存在にふれる
積極的傾聴は、語り手の絶対存在にふれるんだ。
絶対存在。
人間はね、たった独りなんだよ。
この世界は相対的な価値観に溢れている。
だけどね、実際は、ひとつひとつの存在が、ひとりひとりの存在が、完全に独立した、対の絶えた存在なんだ。
それが絶対存在。
人間だけじゃなく、すべての存在が、すべて絶対存在である。
これが、ひとつの事実なんだ。
どれもこれも、比類ない、対の絶えた存在。
まったくもって比べようのない存在。
在るだけで、完全であり、十分。
価値という概念が通用しない存在。
存在=尊重と言うしかない。
そのような存在。
それがひとりひとりの人間、たった独りの人間だ。
積極的傾聴って共感とか、受容が大事だっていうじゃない?

人間対人間。
この絶対存在同士が向き合う。
絶対存在なんだぜ?
わかるわけないでしょ、相手のこと。
わかっちゃだめなんだよ。
わかったら、わかってないってことを証明しちゃってるんだよ。
だから、実は、共感も、理解もできない。
できっこない。
本当の意味では。
深い深いところでは。
絶対存在に対して何ができるの?
たったひとつの絶対的存在なんだぜ?
できるのってね、確認だけなんだ。
その絶対存在が声にした言葉をひとつひとつ確認していくということ。
たった独りの人間。
絶対存在の人間に、どこからかやってきていて、見事に声になったその言葉の相(すがた)を、ただ確認するということ。
できるのはこれだけなんだ。
確認こそ、絶対存在の尊重そのもの
ひとつ、ひとつ、その絶対人間から聞こえた言葉を確認する。
これしかできないんだよ。
この確認ね。
語った絶対人間側にとってみればね、対の絶えた私のたった独りの言葉(生命)が、他の絶対人間によって、そのまま確認された(聞いてもらえた)。
これ以上の尊重はないんだ。
これ以上に、嬉しいことってないんだよ。
たった独りのところ(生命)を、そのままに聞いてもらえるんだから。
絶対的生命が、確認してもらえるんだから。
他の何者かに、触れて、撫でてもらえるんだから。
これにね、身体がね、本当に喜ぶんだよ。
本当に、本当に喜ぶんだよ。
意識が、頭がどう思うかなんてすっ飛ばして、身体が喜んじゃうんだ。
私にはね、積極的傾聴って、こんなパワフルなことが起こっているんだと感じられるんだよ。
積極的傾聴で嬉しくなる、元気が出る、心が癒えるのはなぜか?おわりに

それは、たった独りの人間のまま、触れ合うことができるからなんだ。
頭で考えても仕方がない。
まずは、この不思議に出会ってみて欲しい。
相手の身体が不思議なほどに喜んでいる場面を、実際に目撃してからじゃないと、多分私の言っていることは、他人事のままだろう。
大好きな人、嫌いな人、どうでもいいと感じている人の、声にした言葉を、聞こえたままに、あなたの声にして、相手に届けてみてほしい。
何回かに一回は、不思議なことが起こるかもしれないよ。
そしたら、また会おう。
きっと、この私の文章が他人事じゃなくなっているから。
黒田明彦