光のいのり

私を愛したい

地獄を抜け、世界を愛で満たす方法、能動的に愛するということ

世界を愛で満たす方法_能動的に愛するということ

気づいたんだよ、他人を能動的に愛することができるようにならなければ、この世界は、地獄のままなんじゃないかって。

言い合うんじゃなくて、聞き合おう

能動的に愛するには_言い合うのではなくて聞き合おう

「お互い自分のところを言い合うばかりで喧嘩しないで。」

「お互いのところを聞き合って、理解しあえばいいじゃないか。」

いつかどこかで聞いた声。

そうだよなぁ。

そういう人になるための積極的傾聴者学習だよなぁ・・・。

聞いてくれる人を聞くのは簡単

だけどねぇ。

あらためて思ったんだ。

私が、相手のところを相手のところのままに聞いて受けとめることが簡単な相手は、

私のところを私のところとして、しっかり聞いて、受けとめてくれている相手なんだ。

こちらのところをしっかり聞いて、受けとめてくれる相手だからこそ、こちらも相手のところを聞いて受けとめる余裕が生まれる。

私を受けとめてくれている相手を受けとめてあげようとすることは簡単なんだよ。

最近、私が練っている「愛」という言葉を使うなら、人は誰かに愛されることができているとき、誰かを愛することは簡単なんだ。

私は愛されたい

能動的に愛するには_私は愛されたい

私は、愛されたいんだ。

愛されたくて、愛されたくて生きている。

誰かが愛してくれれば、私だって誰かを愛すことができる。

だけど、誰にも愛をもらえていないのに、私の愛を誰かにあげられるわけがない!

私がもらってないものをなんであげなきゃならないんだ!

ほしいのは、私のほうなんだよ!

私はいつもそうやって、心の中で叫んでいたような気がするんだよ。

愛してもらえない。

愛してもらえてないのに、なんで私から愛さなきゃいけないの?

我慢できないよ。

許せないよ。

納得できないよ。

愛の貧乏人

だから、私は愛を誰にも渡さない。

誰にも愛を渡さないから、誰にも愛をもらえず、ずっと愛が増えないという負の連鎖。

愛の不景気。

なけなしの愛を必死に抱きかかえている。

私は愛の貧乏人。

「愛されない」が生むエネルギー

愛してもらってない。

そう感じる時に生まれるエネルギーは本当に大きなものなんだ。

足りないんだ。

少ないんだ。

小さな愛を必死に抱えて生きている。

それなのに、そのなけなしの愛すら奪われそうになることがある。

悪口。

否定。

拒絶。

攻撃。

私の僅かな愛を奪いにくるなんて、なんて、なんて、人でなしなんだ。

必死にやり返さなきゃならない。

私は誰にも愛されてないんだから。

私の愛は増えないんだから。

私の愛は決して奪われるわけにはいかない。

愛を奪ってくる相手は、必死に打倒しなくてはならない。

生命がけだ。

自然な流れ

この動きね。

この心のはたらきね。

私、すごく、すごく、自然なことだと思うんだよ。

私、すごく、すごく、納得できてしまうんだ。

エネルギーのフェアトレードを考えたら、当たり前のことだと思うんだよ。

人は皆、愛を求めている

能動的に愛するには_人は皆愛を求めている

人は皆、誰かに愛してほしいんだ。

人は皆、何歳になっても、毎日毎日成長している。

老化も成長だからね。

そして、人間の成長には、いつだって痛みがともなう。

ずっと成長を続けなくてはならない人間にとって、愛ってずっと、必要不可欠なんだよ。

愛情飢餓者と愛の倹約家の戦争

だけど、皆、なかなか満足には愛をもらえずに、いつもいつも、お腹を空かせながら生きている。

そこをなんとか上手に我慢している。

皆、愛の倹約家なんだ。

だけど、どうしても、愛情飢餓状態になってしまう人もいる。

そういう人は、他の人から愛を奪って生きるしかない。

毎日愛を倹約して、なんとか質素に暮らしているのに、誰かに愛を奪われるなんて!

信じられない、許せない!

やり返さずにはいられない!

誰かから奪わなければ、愛がスッカラカンの人と、ギリギリの愛で細々と生きていた人が、愛を奪い合う。

このときに生まれるエネルギー、とてつもないと思うんだよ。

もう本当に、戦争だよ、戦争。

愛の貧乏地獄

私ね、なんかこの、愛の奪い合いの連鎖って、

非常に、自然で、非常に、悲しい、ありふれた地獄だと思うんだよ。

私は、誰かが愛してくれることをただ静かに待っている。

だけど、なかなか愛してもらえず、苦しんで、たまに、奪われそうになることもある。

愛してもらえないから、愛せない。

いつになっても愛が増えない。

いつも飢えている。

なんとも自然で、なんとも理にかなっている、愛の貧乏地獄。

私を愛するところから始めてみたんだ

能動的に愛するには_自分を愛するところから

ところで、私はね、繰り返される自己否定にもう懲りて、懲りてね。

なんとか、自分を愛せないだろうかと、愛活を始めたんだ。

毎朝、とにかく何も考えずに、自分に向かって、しつこいくらいに愛の言葉を唱えるのね。

とにかく愛しているよ、愛しているよと自分に愛の言葉を向ける。

意味なんか深く考えずに、祈るように、ただ繰り返すのがコツだと思うんだ。

そんでね、それをずっと続けていたら、なぜか今度は他の誰かを愛せないかなって気持ちになってきたわけ。

他の誰かを愛そうとすること

他の誰かを愛そうとすること。

本当は、嫌なんだけどね。

だって自分が誰にも愛を十分にもらえている気がしないんだから。

それなのに、こちらから誰かを愛するなんて!ってね。

だけど、私、常々、

「そりゃ、なれるもんなら、人を愛せる人になりたい。」

と、思っていたわけだ。

私はこれまで人を愛せたことがないような気がするけど、

「愛せるものなら、愛してみてぇじゃん。」

そう思った。

愛することへの抵抗

それで、物は試しと、ちょっと他人に向かって、愛の祈りをささげてみようと思った。

そしたら、超辛かったよ。

涙が出るほど、抵抗があった。

だけどね、これも一つの修行だと思って繰り返し、繰り返し、祈り始めた。

愛とは、とても能動的なはたらきかけ

そこでふと思ったんだよね。

愛することって、なんと能動的なんだ、と。

ありがとうなら、結構抵抗なく言えるんだよね。

だって、ありがとうは、お返しの言葉でしょ。

なにかしらをもらって、それに応じる言葉。

だけど、愛しているは、お返しの言葉じゃない。

もう、こちらからの一方的な能動的なはたらきかけの言葉。

一方的に与える言葉なんだ。

もらってないのに、与える言葉。

それが愛しているという言葉。

愛の気づき

能動的に愛するには_愛の気づき

そんで、泣きながら、抵抗感じながら、他の誰かに向かって、愛している、愛しているって祈っていたら、ふと気が付いたことがあったんだ。

あれ?

もしかして?

自分から他人を愛すことができれば、この世界の地獄は終わるんじゃないか?

私が聞いてもらえないなら、相手を聞けなくて当然。

私が愛されないから、他人を愛せなくて当然。

それは、それで自然なんだ。

だけど、だけど、

どこかで私が、自分の方から相手を聞かせてもらえれば。

どこかで私が、自分の方から他人を愛せれば。

この愛の奪い合いのループは終わるんじゃないかと思って。

愛の不景気の地獄は終わりに向かうんじゃないかって。

愛せる人になれば

愛が欲しい人、必要な人ばかりなんだから、誰かがどこかで与える人にならないと、この世は地獄のままなんだ。

その誰かは、私の世界においては私なんだ。

私が他人を愛せる人になれば、この地獄を抜けられるんだよ。

なんかさ、そんな気がしたんだ。

そうなんだよ。

他人を愛することが、この世界の地獄を抜ける術だったんだ。

私を中心に世界は愛に満ちていく

能動的に愛するには_私を中心に愛は満ちていく

愛は愛を増やすんだよね。

だって、人は、誰かに愛されると、誰かを愛することが簡単になるからね。

誰かに愛されるのを待っているんじゃダメなんだ。

それじゃ地獄は終わらない。

愛してもらえなくても、愛してもらえなくても、

悔しくても、

納得いかなくても、

許せなくても、

血の涙を流しながら、まずは、自分から誰かを愛してみるんだよ。

自分から、能動的に人を愛してみるんだよ。

そうすれば、自分を中心に、少しずつ世界は愛に満ちていくんだ。

愛を祈るんだよ

愛しています。

愛しています。

私は、あなたを愛しています。

祈り続けるんだ。

祈れば、祈るほど、愛を具現化する行動が、起こしやすくなる。

愛しています。

愛しています。

その人の名を呼ぶんだ。

愛しています。

愛しています。

愛しています、父さん。

愛しています。

愛しています、母さん。

私から、能動的に愛することで、世界を愛で満たすんだ。

少しずつ、少しずつでいいから。

黒田明彦

黒田明彦の電話で積極的傾聴60分3000円

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あなたを救うために、あなたの身にやってくる言葉と出会うための積極的傾聴。