今回の記事は無条件の肯定的関心について書いていきたいと思います。
無条件の肯定的関心は、カール・ロジャーズの提唱した、来談者中心療法において、機能する傾聴者の3つの態度条件のうちの1つです。
私は、無条件の肯定的関心の理解が、3条件の中で一番難しいと思っています。
どんな哲学・思想をもってすれば、語り手に無条件に肯定的な関心を持てるのでしょうか。
人間は、どんな人間を前にしても、純真に、嘘無く、無条件に肯定的な関心をもてるのでしょうか?
興味のある方は読んでみてください。
カール・ロジャーズの来談者中心療法って?

来談者中心療法は、カール・ロジャーズが創始した、非指示的療法とも言われた心理療法の1つです。
現代の積極的傾聴の考え方のベースになるほどに有名な心理療法的アプローチですね。
傾聴者は語り手との間に受容的な関係をつくり、語り手主導で面接はすすみます。
そして、傾聴者は、丁寧に語り手に感情移入的に関わっていくことで、語り手の認識の世界をゆっくりと広げていくのです。
来談者中心療法の無条件の肯定的関心ってなに?

○○だからこの語り手は尊敬できる。
○○だからこの語り手は人間として素晴らしい。
このように○○という条件によって、語り手に対して肯定的な気持ちをもつのではなく、ありのまま、そのままの語り手を尊敬し、素晴らしいと感じられるということです。
そして、その感覚が傾聴者にとって偽りのない真実でなくてはなりません。
どうしたら無条件の肯定的関心をもてるようになるの?

繰り返しますが、来談者中心療法における無条件の肯定的関心は、それが傾聴者にとって偽りのない真実の態度でなくては意味がありません。
そして、それがしっかりと語り手に伝わらなければならないのです。
つまり、傾聴者がどんなに語り手を無条件に肯定している気持ちを持っていても、語り手が「この人は、私を無条件に肯定してくれている」と、感じなければ意味がないということです。
傾聴者の無条件の肯定的関心は、それまで傾聴者がどんな人生をおくり、どんな哲学で人と接してきていて、そして、今、どうしたくて語り手と関わっているかという、傾聴者の内面が大事になってきます。
教科書を読んでいるだけでは、無条件の肯定的関心を語り手に伝えることができないということが、来談者中心療法の面白いところですね。
無条件の肯定的関心を支える哲学って?

傾聴者として、語り手に対し、条件付きではなく、無条件の肯定的関心を持つ。
そのために、これまで私が培ってきた学びのいくつかを簡単に紹介してみます。
これを読んだだけで、無条件の肯定的関心という態度を身につけることは難しいとは思いますが、何らかの触発になることを期待します。
人間は宇宙のはたらきに包まれて生きている
人間は、生まれてからずっと、宇宙の膨張、拡大、成長のはたらきに包まれて生きています。
私という人間の力で、相手という人間の力を肯定する、しないのところではなく、宇宙のはたらきに包まれて生きているという事実がすでに、私も、相手も無条件に肯定してくれている。
無条件の肯定的関心とは、傾聴者の力で、語り手の力を無条件に肯定するのではなく、その宇宙のはたらきを信じ、疑わないことだと言えます。
私が相手を肯定する、しないではなく、すでに全ては宇宙によって無条件に肯定されている。
そのような哲学・思想をもつことで、目の前の語り手がどんな言動をしても、そして、それに対して傾聴者の方にどのような感情が浮かんでも、ひっくるめて肯定的にとらえることができるようになります。

相手がありのままになっていくことを願う

人間は社会の中で生きてくとき、基本的には条件付けで生かされています。
○○な限り○○の自由を保障します。
複数の人間が協力し合うことで社会は成立していますので、それは当然のことです。
人間はその条件に適応することで生きています。
そして、その条件は社会によってまちまちです。
私には、その与えられている条件の許す範囲の中で、できるだけ自由に、できるだけその人らしく、できるだけそのまま・ありのままの人間であってほしいという願いがあるのです。
人間はそのまま・ありのままである方が、楽で、元気になれるからです。
私は多くの人が少しでも、少しでも楽に、元気になっていくことを願っています。
それはつまり、人々が少しでも無条件に肯定されていくことを願っているということなのかもしれません。

来談者中心療法の無条件の肯定的関心を伝える技術

来談者中心療法の無条件の肯定的関心を語り手にどのように伝えていけばよいのでしょうか。
それには、語り手は、どういうときに無条件に肯定されたと感じるかということが大事になってきます。
傾聴者がどんな思想・哲学をもっていても、語り手が傾聴者に肯定された、自由をもらえたと感じなければ意味がありません。
○○だから・・・、という条件なしの肯定。
無条件の肯定的関心。
それを語り手に伝えることはできるのでしょうか?
語り手が無条件に肯定してもらいたいのはなんなのか?
語り手が無条件に肯定してもらいたいもの、それは、語り手の認識です。
「存在そのもの」と言いたい人もいるかもしれませんが、語り手の認識こそが、語り手の存在そのものであると言っても過言ではないのです。
語り手の認識を無条件に肯定するにはどうしたらいいのか?
語り手の認識を一番色濃く表しているものはなんでしょうか?
それは、傾聴者が語り手から感じ取った情報ではなく、語り手が声にした言葉の相(すがた)そのものです。
その言葉にどんな意味が託されているかという理解や判断の前に、ただその言葉の相(すがた)を無条件に肯定する。
簡単に言えば、語り手が声にした言葉のままに、傾聴者もその言葉を声にする、ということです。
このやりとりが無条件の肯定的関心を直接語り手に伝える、一番簡単な方法なのです。

語り手は、自分にとって感情的で、ユニークな部分を語っていればいるときほど、そのままの言葉を傾聴者が聞かせてくれたときに本当に安心と自由を感じます。
来談者中心療法の無条件の肯定的関心について、おわりに

無条件の肯定的関心についての思想や哲学にふれ、そして、相手が無条件に肯定してもらったという感覚を得るためにはどうしたらよいか、という技術についてもふれてきました。
積極的傾聴の神様、カール・ロジャーズは、機能する積極的傾聴には、技術以上に哲学が大事であると言いました。
たとえば、相手の認識(存在)を無条件に肯定しようとする行為も、相手の言葉をただ真似して繰り返すだけの行為も、同じ所作で行われます。
この2つは、やっていることが同じに見えても、何をしようとしてやっているかで、相手に与える印象は全く違います。
つくづく来談者中心療法の奥深さを感じますね。
黒田明彦