今回の記事は私がこれまでやってきた積極的傾聴学習の中核的取り組みである、言葉の相(すがた)のやりとりについて書いてみました。
あらためて、考えてみると、この取り組みは大変ユニークで貴重で、可能性に溢れたものであるということが感じられました。
興味のある人は読んでみてください。
【言葉の相(すがた)のやりとり】振り返ってみると…
あらためて考えてみると、
結局私と積極的傾聴との出会いって、
私が私と出会ったのって、
私の生命との出会いって、
私が純真な交流だ!って感じられたものって、
言葉の相(すがた)のやりとりのことなんだなぁと思うのです。
相手の声にした言葉をそのままこちらの声にして相手に伝える。
これが言葉の相(すがた)のやりとりです。
私には、私の生命を
本当に大事にふれて、支えてもらったという体験があります。
それは、先生に、言葉の意味のやりとりではなくて、言葉の相(すがた)のやりとりをしてもらったときでした。
それは、「楽しい」という相手の言葉に、ただ「楽しいね」と応じるやりとり。
何が楽しいの?私は楽しくないよ!なんて言わない。
それは、「悲しい」という相手の言葉に、ただ「悲しいね」と応じるやり取り。
何が悲しいの?元気だしなよ!なんて言わない。
それが言葉の相(すがた)のやりとり。
【言葉の相(すがた)のやりとり】強烈な願い

相手の声にした言葉をそのまま、こちらの声にして相手に伝える。
これが言葉の相(すがた)のやりとりです。
この言葉の相(すがた)のやりとりには、強烈な願いが込められています。
相手がより相手になっていくことが強烈に願われている。
相手が、相手の感覚に落ち着いていくことが強烈に願われている。
相手が相手の純粋な言葉に出会っていくことが強烈に願われている。
他の誰でもない、相手が相手に添う言葉に出会っていくことが強烈に願われている。
【言葉の相(すがた)のやりとり】強烈な哲学

相手の声にした言葉をそのまま、こちらの声にして相手に伝える。
これが言葉の相(すがた)のやりとりです。
この言葉の相(すがた)のやりとりには強烈な哲学が含まれています。
それはたった独りの人間という哲学。
この哲学はなかなか伝わらないでしょうが、とっても大事なところなので、何度でも、何度でも言います!
私たちは、本当の意味では相手と理解しあえない。
どんなに愛していても、どんなに大好きでも、相手と同じになることはできない。
相手に同じになってもらうこともできない。
私たちの生命は、宇宙から届けられる言葉の相(すがた)でできている。
だけど、私には相手と同じ言葉の相(すがた)は届いてきていないし、
相手には私と同じ言葉の相(すがた)は届いてきていない。
私たちの世界は別なんだ。
だから、お互いの世界に届いている言葉の相(すがた)を確かめ合う(ふれあう)ことは、お互いの生命そのものを確かめ合う(ふれあう)ことに等しい。
だから、相手に自分の声になった言葉の相(すがた)を確かめて(ふれて)もらったとき、あんなに嬉しく、元気になれるんだ。
【言葉の相(すがた)のやりとり】真っ白な言葉

相手の声にした言葉をそのまま、こちらの声にして相手に伝える。
これが言葉の相(すがた)のやりとりです。
私は初めて、ただ相手の言葉をそのままの相(すがた)で私の声にしようとしたとき、不思議な感覚になったことをよく覚えています。
私は、真っ白になってしまったのです。
「相手の言葉は、こちらの頭の中に勝手に浮かんできたりしない。」
相手の言葉は、相手に聞くしか手がないという事実を叩きつけられたのです。
もし、相手の言葉の相(すがた)を聞き落としたら、相手にその言葉の(すがた)を確認するしかない。
非常に衝撃的でした。驚きました。
そして、強烈な不自由を感じました。
強烈な不自由と違和感を感じながらの実践で、私は、相手の言葉を聞くということはこういうことなんだ、と体験的に理解することができました。
【言葉の相(すがた)のやりとり】エネルギーの反射
相手の声にした言葉をそのまま、こちらの声にして相手に伝える。
これが言葉の相(すがた)のやりとりです。
私には、相手の言葉をそのまますぐに声に出したとき、あんまり相手に巻き込まれないで済んだという体験があります。
相手の言葉を聞いた瞬間、すぐ嫌な気分になる。
傷つけられた!と、なることが私にはよくありました。
そして、そうなると、それをずっと引きずって辛い思いが続いてしまう。
しかし、聞こえた相手の言葉の相(すがた)をすぐにそのまま声に出したら、なんかエネルギーが跳ね返ったかのように、あまり苦しくならなかったんです。
あれも不思議でした。
感覚的には、相手の言葉の相(すがた)がすぐにそのまま、自分の声になったときは、そのエネルギーが自分の内側に入り込まないというような感覚でした。
相手の言葉をそのままこちらの声にすることで、
「これは私の言葉の相(すがた)じゃない!」
ということが確認できるからでしょうか。
相手の言葉の相(すがた)を聞いたままに声にすると、相手のエネルギーと私のエネルギーがしっかり区別されて分かれるという感じになるのです。
その体験から、しばらく私にとっては、相手の言葉の相(すがた)をそのまま私の声にすることは、自分が相手のエネルギーに巻き込まれないための防衛の手段でした。
【言葉の相(すがた)のやりとり】生命にふれる

しつこいですが、相手の声にした言葉をそのまま、こちらの声にして相手に伝える。
これが言葉の相(すがた)のやりとりです。
上記の通り、それは、相手のエネルギーに巻き込まれないための防衛の手段になりますが、相手の言葉の相(すがた)をそのままこちらの声にしていると、相手側にも強烈な影響があります。
意識して、相手が声にした言葉の相(すがた)をこちらに聞こえたままに声にして、相手に聞かせてみる。
そうすると…、
相手が相手の言葉に導かれていきます。
声のトーンが下がり、
真剣な顔になり、
言葉がどんどんつながっていく。
語りにグンッ!と吸い込まれていくような、あの不思議な感じ。
宇宙のはたらきとリンクしていく感じ。
その人が話すではなくて、その人に言葉がやってくる状態になる感じ。
言葉の相(すがた)でのやりとりになると、そういう状態に導かれやすいということが感じられたのです。
そして、相手はそういうとき、より相手の身に添う、相手の生命の言葉に出会うチャンスに包まれているように思うのです。
【言葉の相(すがた)のやりとり】浄化作用
感情の言葉(生命の言葉)は、そのままの相(すがた)で他の誰かに受け取めてもらえると浄化される。
そんな感覚があります。
受けとめて欲しい。
語った直後になんであんな感じがするんでしょう。
語っただけでは完了しないあの感じ。
不思議です。
そして、私の声にした言葉を相手の声で確認できた時のあの感じ。
聞いてもらえた。
言えた。
身体も心も軽くなる感じです。
あれは不思議です。
なんとホッとすることでしょう。
顔つきまで変わります。
頭で考えてのところではありません。
言葉の相(すがた)のやりとりは、身体の反応レベルのやりとりなんです。
私は今までそういう体験(身体の反応レベルのやりとり)を積極的傾聴と呼んできました。
私が教わってきたもの、私がずっと体験してきているもの。
この言葉の相(すがた)のやり取りって、もしかして、かなりユニークな体験なのかなと最近では思っています。
【言葉の相(すがた)のやりとり】人間本来のやりとり

言葉を情報交換の道具にするのではなく、
言葉の相(すがた)に注目し、
言葉の相(すがた)そのものでやりとりをする。
言葉の相(すがた)を確認する
言葉の相(すがた)にふれる
言葉の相(すがた)に聞かせていただく
言葉の相(すがた)のやりとりは、
人間本来の言葉のやりとり。
最初は、
相手の語りを伸ばしたいがために
相手を生命の言葉に出会わせるために
相手が相手になっていけるように
相手が元気になっていけるようにと
言葉の相(すがた)のやりとりを意識的にやってみる。
そうすれば、次第に、人間本来の生命のコミュニケーションが、もっと身近になり、当たり前のようにできるようになる。
【言葉の相(すがた)のやりとり】おわりに
今、私は、認知症の父と、一般的なコミュニケーションに弊害のある母との共同生活をスタートさせました。
この場所では、言葉の意味のやりとりでのコミュニケーションは、ほとんど通用しません。
この場所では、言葉の意味のコミュニケーションでは、苛立ちや悲しみ、絶望に包まれるしかないような状況です。
しかし、この場所でも、言葉の相(すがた)のコミュニケーションには希望が溢れている。
言葉の(相)でするコミュニケーションは頭でするものではありません。
だから、数秒ごとにリセットされる記憶も会話のロジックも関係ありません。
求められるのは、ただ、ただ、生命のふれあいです。
私は、意味の必要ない、この言葉の相(すがた)のやりとりで、
この場所で、必ず元気になっていってみせます。
この場所は、私にとってステキで優しい場所になる。
今、私がそう決めました。
言葉の意味のやりとりが絶望的な相手であっても、
言葉の相(すがた)のやり取りは必ず通用する。
私はそう信じています。
黒田明彦