今回の記事では、強烈なエネルギーの抑圧の解放のプロセスについて、私の経験を書いてみようと思います。
何がエネルギーの源になるかは、人によって様々なのでしょうが、私の場合は、母への思いが強烈なエネルギーの源となっています。
私は、20代前半、積極的傾聴の学習を始めたころ、一度強烈なエネルギーの解放を経験しています。
その時に解放したエネルギーを一言で表すなら、”悲”です。
そして、20年近くたった今、新たなエネルギーが解放されました。
そのエネルギーを一言で表すなら”愛”です。
思えば遠くへきたものです。
興味のある方は読んでみてください。
【感情エネルギーの解放】以前解放された悲しみのエネルギー
伝わらない
変えられない
わかりあえない
意味がない
もどらない
すれ違うたびに感じる痛み
浄化されない痛み
強烈な願いが滞る
強烈な願いが強烈な痛みへと変わる
エネルギーの滞り
失ったものの大きさ
しかし何を失ったかもわからない
ただ苦しかった
ただ生きづらさがあった
積極的傾聴の学習に出会い、
純粋な場と出会い、感情の触発に出会い、語りによってエネルギーが満ち、
私は、生命がむせび泣くように、涙になることができた。
滞った私のエネルギーが、一気に解放されたのは確かだった。
【感情エネルギーの解放】愛エネルギー
私が失ったものは何だったのか?
僕は満足していた。
僕は満ち足りていた。
僕は幸せだった。
母との一体感。
いつだって、一心同体だった。
何の迷いも、不安もなく、エネルギーに溢れていた。
僕は母であり、
母は僕であった。
僕にとってはそれがすべてだった。
しかし、それらはすべて、キレイに消失した。
身体も心も2つにちぎれてしまった。
それは仕方のないことだと理解できた。
だけど、ちぎれてしまった身体と心は、
開いてしまった大きな空洞は、
私をいつまでも大いに苦しめた。
私の身体の半身には強烈な”悲”のエネルギーが滞っていた。
私は、積極的傾聴に出会い、その”悲”のエネルギーを一気に解放できた。
しかし、”悲”のエネルギーが解放された私の半身は空洞になってしまった。
私は実に20年近くもの間、半身で生きていた。
何がその空洞を埋めてくれるのか?
それこそが、あきらめていた母への思い、母を大好きだという思い、”愛”エネルギーだった。
【感情エネルギーの解放】母への思いに宇宙を重ねる
思いエネルギーは滞る。
そして、解放の時を待っている。
母を好きになれないなら、他の何をも好きになることはできない。
意識の底の底にあった感覚。
母が幸せじゃないなら、自分も幸せになってはいけない。
強烈なあきらめがあった。
しかし、思いはなくならない。
なくなってなんてくれない。
空洞になった私の半身を埋めてくれるのは、母の代わりになってくれる他の誰かの存在ではなく、心の奥底に眠っている、私の母への思いだと気が付いた。
私は、やっと、私のエネルギーの源を知ることができた。
母を好きになることをあきらめてなくてすむようになれば。
母を大好きだということを忘れなければ。
それをいつだって、思い出すことができれば。
何かを好きになるという感覚、全般を思い出すことができるような気がする。
母を好きであるという感覚を思い出せれば、宇宙全体が好きであるという感覚を思い出せる。
すべては母への思いにつながっていたんだ。
【感情エネルギーの解放】強い思いの影響力
強い思いを拒否し、蓋をしてしまうと、その思いの周辺全部を拒否してしまうことになる。
母への思いと別れてしまっていた私は、何かを好きになるという感情全体に鈍くなってしまった。
私は今もなお、本当に母が好きなんだ…。
この思い、ここに強烈なエネルギーがあることを認識できれば、他人との関係、特に異性との関係にバランスがとれるようになるような気がしている。
強烈な融合欲求、操作欲求、支配欲求は、母と一体化していたときのあの幸福感、満足感、完全に満ち足りた感じをもう一度と、強烈に願っているということなのだと理解できるから。
そして、それは他の誰にも満たすことができないと理解できるから。
母を大好きだったと思い出し、そして、今も大好きだと言えることで、私は、母と2つに分かれたままで、私のエネルギーの源にふれていられるような気がする。
母への思いそのもの、そのエネルギーそのものを愛することができるから。
そのエネルギーを愛することこそ、自分を愛し、宇宙を愛するということだと思うから。
【感情エネルギーの解放】分かれと別れ
なぜ、私の母への思いは隠れていたんだろう?
20年近く前、悲しみのエネルギーが強烈に解放されたとき、
私の母への思いは終わったのだと思いたかった。
そうやって、蓋をしておきたかった。
なにがこわかったのだろう?
これまでの私には、20年近く前に、私が解放した強烈な悲しみのエネルギーが、どこから生まれているのかを理解できていなかった。
私の一番の悲しみは、母と存在が分かれてしまったこと、そのものだった。
その認識に、なかなかたどり着くことができなかった私は、母への思いと別れることで、なんとかバランスをとっていたようだ。
幼い頃、母と一心同体だった私は、いつも幸福で満足していた。
1つだった二人は、ある時、ちぎれるように分かれた。
何が起こったかわからないまま、悲しみと苦しみのエネルギーが滞っていった。
積極的傾聴と出会い、苦しみと悲しみのエネルギーが解放された。
母と別れることができ、身体と心は軽くなったが、半身だけで生活しているような毎日。
それから20年近くの年が流れ…、
あの日々の幸福感、満足感は、一心同体だったからこそ得られたものであると受け入れられた。
あの日々の悲しみ、苦しみは、1つだったものが、2つにちぎれてしまったからだと受け入れられた。
それを受け入れられた瞬間、母を好きになっても大丈夫な気がしてきた。
そして、母を好きになっても大丈夫な気がした瞬間、私は静かにエネルギーに満ちたのだ。
【感情エネルギーの解放】母への思いと再会するプロセス
なんで今になって私は、母への思いと再会できたのだろう?
いろいろな理由が浮かぶ。
雇われ仕事をやめて、誰かに与えられる役割がなくなって、自分のやりたいこと、自分の役割を苦しい程に考える機会に恵まれた。
他人から与えられるストレスが極端に減った。
自分の感覚について発信する機会が増えた。
自分がどうしたいかわからないという場面に出会う機会が増えた。
自分でわからない自分に、こわさよりも、強い興味が続いた。
わからないなりに、認識できないままに、身体は動いていた。
少しずつ、私の行動に、私の思考が追い付いてきている。
私が、なぜ、私がどうしたいのかわからないままに行動しているか、の辻褄があってきている。
私は、全く認識できないままに、少しずつ、帰りたがっていた。
帰るための準備を進めていた。
身体は、自然にそう動いていた。
母のもとへ、家族のもとへ。
意思
私は丈夫になったのだろうか。
時を経て、父親の病状が進み、今、私の家族は、誰かがバランスをとならなきゃ、どうしようもない状態になろうとしている。
その役割は私の役割だ。
私は今、家族と一緒に居たがっている。
何故そう思えるのだろう。
何故そう思えるようになったのだろう。
自分で不思議だ。
家族といることは、あんなにつらいことだったのに。
生命が削れる思いだったのに。
絶望的な場。
死に近い場だったのに。
今の私は、ある程度自分の身を自分で守る自信があるのだろう。
そして、刺激から学べることに期待もあるのだろう。
家族にふれることで、愛にふれられることを確信しているのだろう。
私は、今、きっと、そんな私になっているのだろう。
家族の問題は、ずっと保留にしていた。
どこか他人ごとのように感じていた。
その保留感覚は私にとって、とてもとても必要なもので。
そうすることでバランスをとってきた。
自分から切り離すことができたから、元気に…、いや、病まずになんとか生きてこられた。
今は、何で大丈夫な気がするんだろう?
いつのまにか、家族が、私に必要な他人事となっている。
いつのまにか、家族は、私にエネルギーを与えてくれる他人になっている。
世界は、変わるもんだな。
【感情エネルギーの解放】おわりに
パーソナリティの変化が起きようとしているとき。
環境が変わり、準備が整っていき、そして、心理的防衛性も弱まっていく。
そのときは、一時的に心的不一致感は増加するのも自然だと思う。
変化の前触れとして、心的不一致が隠れないようになるというか。
心的不一致が、心的不一致として、より明らかになるというか。
自分以外の人が見つけられるところまで、心的不一致が浮かび上がってくるというか。
誰かに見つけてもらいやすくなるというか。
準備が整っていないときは、自分はもちろん、他の誰かが感じることができないような深さに隠れているものだろうから…。
自分で自分がわからないと強く思えるとき、
そして、自分で自分がわかりたいと純粋に興味がもてているとき、
もう、大きな変化までは秒読み状態なのかもしれない。
あとは、自分自身と同等以上に、真実の人間に出会いたいと願ってやまない他人との交流を続けて持てるかどうか。
きっと、その役割を担う存在こそが、傾聴者なのだと私は思います。
黒田明彦