「感性とは何か?その意味と感受性との違い」ということで、今回は感性という言葉について、図を用いながら、いろいろと考えてみました。
私は、この感性という言葉が、HSPなどのとても敏感で感受性の強い人たちにとって、とても大事な概念だと思っていますので、少し詳しく説明していきたいと思います。
感性と感受性との違いについても図解して、出来るだけわかりやすく書いてみました。
私の考えでは、感受性が豊かな人ほど、感性を磨く必要があります。
興味のある人は読んでみてください。
感性という言葉の意味

私たちは普段、「感性が豊か」とか、「感性が鋭い」とか、それこそ感覚的・感性的にそんな表現をしていますよね。
しかし、この感性という言葉を結構、微妙なニュアンスで使っていないでしょうか?
というのも、この感性という言葉の定義は哲学的、心理学的にさまざまに行われていて、立場によって言葉のニュアンスが変わってしまう、いわゆる深い言葉なんですね。
ちなみに辞書レベルでは、
- 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。
- 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。
と書いてあります。
心に深く感じ取る働き、刺激を受け止める感覚的能力、この辺りの言葉がポイントになりそうです。
感性とは何か?感受性との違い【図解】

辞書レベルでは、感性と感受性は明確に区別されていないようですが、ここで私はもう一歩踏み込んで、感性と感受性の違いを説明しながら、感性という言葉のインスピレーションがよりはっきりと湧くように、説明していきたいと思います。
【図解】感受性とは何か?
簡単に説明すると、感受性は、刺激に対する反応の大きさと考えることができます。
感受性は、刺激に反応する力という感じですね。

たとえば、同じ刺激であっても・・・

感受性が普通の人の反応はこんな感じ。

感受性が強い人の反応はこんな感じ。

このように、感受性の強い人は、刺激に対する反応の力が大きいのです。
【図解】感性とは何か?
それに対して感性は、刺激に反応したところを具現化する能力であると言えます。

このように、様々な形で具現化する力です。

感性は、刺激への反応を正確に認識し、具現化する力です。
つまり、感性が豊かな人というのは、刺激から自分の感受したところ、自分の反応をそれにぴったりの言葉や、絵や、音楽、映像で豊かに具現化できる人のことである、と言えます。
芸術はまさにそのまま、感性の賜物です。ファッションなどもそうですね。
- 刺激を大きく感受しやすい人➡感受性が豊かな人
- 感受した刺激をピッタリの表現で具現化できる人➡感性が豊かな人
【図解】感受性と感性の関係
ちなみに、HSPなど感受性の豊かな人は、その感受性に見合うほどに感性を伸ばさないと、刺激に対して大きく反応しているのに、それを具現化し、浄化することが追い付かずに苦しんでしまいます。

感受性を具現化する感性が追い付かないと、苦しみに襲われる。
刺激に大きく反応したということは、大きなエネルギーが生まれたということです。
生まれたエネルギーは、具現化されないと、滞り、苦しみへと変わってしまうのです。
HSPなど感受性が豊かな人ほど、感性を鋭く、育てていく必要がある。
感性は生まれつきのもの?

感性はひとつの能力であると考えることもできます。
それは、身体の大きさや、体質などと一緒で、生まれつき一人一人差があるものです。
当然、生まれつき感性が鋭い人も存在します。
ただ、感性は、主に後天的に磨かれていくものです。
どんな感性の天才でも、幼児の時のままの感性でいることはまずないでしょう。
感性は受信能力に応じて磨かれていく
HSPなどで生まれつき感受性が高ければ、感性が磨かれやすい体質であるといえます。
エンパス、逆エンパスのように、生まれつき特殊なエネルギーの流れを持つ人も感性は磨かれやすいですね。
このように、高い受信能力があったり、特殊な受信能力を持っている場合は、それを具現化する必要性が高まり、自ずと感性は磨かれていくのです。
感性は環境の影響を受ける
しかし、小さな頃の養育環境の影響はとても大きく、そこで感性の成長率の差は大きくなります。
感性が育つポテンシャル(強い感受性など)があっても、抑圧的な養育環境に身を置いてしまう場合、自由に自分の感性を発揮し、伸ばすことができません。

たとえ優秀な受信機能を持っていても、そこからの反応を自由に具現化できないため、生まれつきの感受性に見合った、心地よく生きるのに必要な程度の感性が育たないということがあるのです。
そういう意味では、日本の教育は感性が磨かれにくい環境が整っていますね。
感受性が強い人が苦しみやすいという現状にも納得してしまいます。
感性と右脳の関係

人間の左脳と右脳は役割が違っていて、
左脳は言語による認識や計算、論理的思考に関係があり、右脳は図形や映像認識、直感やひらめきなどに関係があると言われています。
一般的には感性は右脳に関係があると言われていますね。
世の中的には、右脳優位の人が感性豊かな人と言う理解が常識でしょう。
確かに絵などの芸術作品や、音楽などに関する感性は右脳の影響が大きいでしょう。
しかし、小説家や講演家など感性豊かな言語を表出することによって活躍している人もいますね。
感性豊かな人は右脳が発達していると画一的に理解するのではなく、感性には右脳寄りの感性と左脳寄りの感性があると理解するのが良いかもしれません。
感性とスピリチュアル

人間には、科学で証明されているものや、目に見えるものだけでは説明しきれない体験、感覚というものが確かに存在します。
現代の様々なスピリチュアル的考え方を引き合いに出さなくても、昔から具体的に人間の心や政治を支えてきた、神や仏の存在自体が、充分にスピリチュアルですよね。
私は、この神や仏の存在は人間の感性の極みであると思っています。
すべては、人間が感じ取っているものを全身全霊で、自分の身に添うような迫力、スケールで、表現している。
受信しているもの、感知しているもの、そのパワーが大きければ大きい程、規格外の表現、規格外の感性で具現化する。
神や仏を生み出した人の感性こそが、まさに神懸り、仏懸っていたということです。
そういう人は、「人間を超える存在を具現化できなければ、どうやっても釣り合わないようほどに圧倒的な感覚」に苛まれた、ということだと私は思うのです。

感性の意味、感受性との違いまとめ

「感性とは何か?その意味と感受性との違い」ということで書いてきました。
- 感性とは、感受したものを認識し、反応を具現化する力である。
- 具現化されない感覚は、エネルギーの滞りを生み、苦しみに変わる。
- 感性は生まれつき差があるが、主に後天的に磨かれるもの。
- 右脳寄り感性と、左脳寄り感性がある。
- スピリチュアル的な表現は、神懸った感性の賜物。
感性とは感受した刺激に対する反応の表現、具現化の力。
それはつまり、受け取ったエネルギーの発散力なんだと思います。
私は、感性とは、私が私、あなたがあなた、そのものになっていくために、必要な力だと思っています。
だから、成長するということは、感性を磨くということそのもの。
すなわち、生きる意味は、感性を磨くということに他ならないのかもしれません。
宇宙でたった独りの大事なあなたになるために、感性、磨いていきませんか。
黒田明彦でした。