もし、とても悲しい気持ちになっている人のそばにいるとき、私には何ができるでしょうか。
心が壊れそうなほどに、
強い感情エネルギーに押しつぶされそうなほどに、
苦しみ、追い詰められている。
そんな相手を前にしたとき、私には何ができるでしょうか。
今回の記事はそのあたりについて考えてみようと思います。
興味のある方は読んでみてください。
【悲しむ人のそばにいるときに、私にできること】相手の心を軽くしてあげるために
身近な人の身に、とてもとても悲しい出来事が起こってしまった場合、私にしてあげられることはあるでしょうか?
今まさに、絶望の淵に追いやられている相手。
悲しみの感情エネルギーでいっぱいになり、他人に気を遣う余裕など、微塵もない相手を前にしたとき…。
私は、その人の心を少しでも軽くしてあげたいと強く思います。
私には、こういうとき、相手に対してやってはいけないと思っていることがあります。
悲しむ相手を前にやってはいけないこと
まずひとつ。
それは、相手の絶望的悲しみに触発されて生まれてしまった、自分自身の悲しみのエネルギーを相手にぶつけて、私自身が楽になろうとすること。
そして、もうひとつ。
それは、相手から伝わってくる、滞った絶望的な悲しみの感情エネルギーのプレッシャーから逃げるために、それを一般化しようとしたり、否定するような言葉をかけることで、私自身が楽になろうとすること。
これらは、相手の絶望的悲しみをより、滞らせ、増幅させてしまうでしょう。
例)
私だって悲しいよ
そんな顔してないで、元気出しなよ
昔私にもこういうことがあってさ…
つらいのはあなただけじゃないよ
あなたよりも悲しい人もいるよ
もし今、自分自身が、すでに強い悲しみに飲まれてしまっているのなら、まずは自分が、他の落ち着いている人に助けてもらう必要があるんだ。
それを先に済ませないと、他の人の悲しみのエネルギーを解放してあげるお手伝いは難しいよ。
【悲しむ人のそばにいるときに、私にできること】悲しみのエネルギーを解放するために
悲しみの感情エネルギーを浄化、解放するためには、どんな心構え、所作で相手に向かえばいいのでしょうか?
心構え
・相手の悲しみはこちらで引き受けてあげられるものではないということを理解する。
・触発されて生まれた私の悲しみは、相手の悲しみの浄化には役に立たないとわきまえる。
・相手に気持ちを言わせてあげる。できれば、泣かせてあげる。
・悲しみは悪いもの、捨てなくてはならないもの、とせず、今のその人に必要なものとして、そのままのすがたで肯定する。
具体的所作
・事情、気持ちを聞いてあげること
例)「何か…あった?」
・時間を取り、相手の話すペースをじっくり待ってあげること。
・相手が言いづらそうなら、気持ちに少し先に、丁寧にふれてあげること。
例)「すごくつらい・・感じ・・かな?」
・そして、相手がこぼした言葉をひとつずつ、抱きしめるようにたどってあげること。
例) 相手「~があったんだ。」私「……~があったんだね。」
本気で相手の悲しみに寄り添いたいという覚悟があるのなら、きっとこれらの所作が相手の感情の浄化を助けてくれることでしょう。
【悲しむ人のそばにいるときに、私にできること】私の世界を生きているということ
私は私の世界を生きている。
たった独りの世界を生きている。
それは事実です。
私に聞こえるもの、私に見えるもの、私に触れられるもの、私のすべての感覚は、誰かと共有できるものではありません。
私に聞こえる「ド」の音も、私に見える「赤」も、私が感じる「タオルの柔らかさ」も、
それが他の誰かの感じている「ド」「赤」「柔らかさ」と同じかどうかを確かめることができません。
それを考えただけでも、私は独りであり、本当の意味で他人と分かり合いようがないことを理解できます。
感情移入
相手を見て、相手を聞いて、相手を感じる。
私だったら楽しいと思うだろうな。
私だったら悲しいと思うだろうな。
それが鋭く感じられる。
感じかたの鋭さでいうと、
相手を見る→
悲しそうに見える→
私だったら…と頭の中で私のことに変換される→
私が悲しくなる
こんな悠長なスピードではないのです。
相手を見る→
私が悲しくなる
私の体感では、このように瞬間的なできごとなのです。
また、このような感情のはたらきは、自分の意志でやっていることでもありません。
あくまで私は、悲しくなってしまった後に、相手に感情移入していることに気が付くのです。
相手の悲しみではない
相手を見て、私が悲しくなる。
この悲しみは、相手から伝わってきた。
だから、この悲しみは、相手の悲しみ…ではありません。
そのとき、どんなに私が、相手の感情が伝わってきたかのように感じていたとしても、それは相手の感情ではないのです。
あくまで、私のところで生まれた、私の感情、私の悲しみなのです。
私は、相手そのものになることは絶対にできません。
だから、私は相手の感情を感じることができたことは、生まれてから一度もないのです。
この感情の区別は、私がつらそうな相手を前にするとき、私の感情の増幅を抑えるためには必要なものです。
今、本当に、狂ってしまうかのような強い悲しみに包まれている相手の、ただ傍に、逃げずにいたいなら、この厳かなる自他の区別が、私にはどうしても必要なのです。
【悲しむ人のそばにいるときに、私にできること】おわりに
私の悲しみは、相手の悲しみとは別。
そして、私の悲しみは、相手の悲しみの浄化の役には立たない。
人によっては厳しく響くかもしれませんが、私にとってこれは厳かなる事実です。
しかし、逆に言えば、
私は、自分の悲しみを置いておけるとき、ただ相手の悲しみに寄り添うことができる。
そのときの私の純粋な交流は、相手の滞った感情エネルギーを浄化する可能性を大いに秘めています。
私の身近な誰かが、壊れるほどの悲しみに包まれているとき、私は、私自身の悲しみを置いておいて、ただその人の悲しみに寄り添える人でありたい。
その私は、きっと、効果的に、その人の助けになる。
私は、積極的傾聴学習にそれを教えてもらいました。
黒田明彦