私が、カウンセリングの学習を始めたきっかけは、私自身がどうしても変わりたいというものでした。
<生まれもった性格は変えられない>
<他人は変えられないが自分は変えられる>
「人が変わる」ということについて、世の中にはいろいろな考え方があるようですが、私の体験を言えば、人は時に、それまでとは別人のように変わることができます。
それは、考え方を変えるなんて次元の出来事ではなく、その人の世界そのものが変わるという迫力の出来事です。
ただ、それは、どうやら自分一人の力でどうにかなるようなものではなく、また、他人一人の力でどうにかなるものでもなさそうです。
今回の記事はそのあたりについて書いてみました。
興味のある方は読んでみてください。
【変わりたい】今いる世界を超えるということー自分の住処
嫌いな自分、評価できない自分、足りない、情けない、みっともない、認めたくない、否定したい…。
ないものにしたい、切り離したい、お別れしたい、自分という名の世界。
だけどそれは、今の自分が存在する住処であり、それは、今の自分の唯一の落ち着きどころでもあります。
変わりたいのに、変わりたくない。
変わっていくのが自然で、変わっていくことが健全であることがわかっているのに、変わらずに留まっていたい…。
私たちは、そんな矛盾を抱えているのです。
【変わりたい】今いる世界を超えるということー変わりたいがやってくる
私は母が嫌いでした。
母は、私を全然適切に助けてくれなかった。
母のせいで私は、こんなにも、こんなにも大変!
このように、当時の私には、母を嫌いにならなくては保てない生活のバランスがありました。
母を嫌いになることで、なんとか自分を正当化することができ、なんとか立っていることができたのです。
しかし、同時に、私は母が嫌いな私自身のことが本当に大嫌いでした。
そして、母が嫌いなままの私には、いろいろな不具合が起こりました。
日々ストレスにあふれ、身体も、心も不自由。
自分が身近と感じられる人に当たり散らしてしまう日々。
いろいろな人に迷惑をかけながら、自分という感覚もよくわからなくなっていきました。
今の私のままでは幸せになれない。
このまま、今の私のままで、いるわけにはいかない…。
私は、私の身近な他の誰かのためにも、そして、私自身のためにも心底変わりたいと思いました。
変わりたい。変わらなければならない。
そんな言葉のすがたが私にやってきました。
【変わりたい】今いる世界を超えるということー変わりたくないがやってくる
私は、幸運なことに、カウンセリングの学習に出会い、エンカウンターグループに出会い、自分の純粋性に出会うことができました。
変わりたかった私、変わらなくてはならなかった私が、何かに導かれるように、変わるための条件が揃ってしまったのです。
身体が、心が、進み、変わり、純粋へと向かうのが自然である、という環境が充分に整ったのです。
しかし、そのとき、私には、「嫌だ…、変わりたくない。」という感覚、言葉のすがたが届いたのです。
変わる方向に自然に向かう、純粋へと向かう私に、強い抵抗が生まれました。
私は…、私は、ずっとひとりでここに居たんだ!
ここが…、ここだけが私の居場所だったんだ!
この場所が必要だった私。
ここに居るからこそ立てた私。
それを否定されたら、私は…私は、動けなくなってしまう。
私の生きた場所。
私の生きた世界。
私を支えた世界。
それを手放す怖さ。名残惜しさ。悔しさ。
どこまでも正当化したい世界。
正当化されねばならない世界。
私の拠り所だったところ。
嫌だ。離れたくない。悔しい。
私のこの世界が、一度も赦されないまま、手放せるわけがない。
これは私なんだ!私!私!私!
【変わりたい】今いる世界を超えるということーそして超えていく
人がまさに変わろうとしているとき、いろいろな感情、エネルギーが入り乱れます。
それは、頭だけで済む出来事ではありません。
身体全体がグシャグシャになるような体験です。
全部吐き出して、狂うほどに涙になって、言葉のすがたになって、やっと赦されて…。
そしてやっと、今までいた世界を、超えていくことができるのです。
今までの自分。
離れがたい世界。
自分の住処から離れ、変わる。
その瞬間の切迫感。
大事な場所だったんだ。
拠り所だったんだ。
現実だったんだ。
私だったんだ。
そこを手放す?
そこから離れる?
新しい場所がより自然で、楽そうで、そして正しそうなのはうっすらと見えているんだ。
だけどそんなに簡単に住処を変えることなんてできないんだよ。
こわい。悔しい。
そうじゃない。わかってる。わかっているんだ。
だけど私はこう…。私はこうだったんだ。
私には必要だったんだよ!この世界が!
いろんな過去が、現実が、言葉のすがたとなって、目一杯赦されたとき、私はやっと住処を変えるためのエネルギーに満たされる。新しい自分になることができる。
今まで住んでいた世界を超えて、新しい世界に移っていくことができる。
【変わりたい】今いる世界を超えるということー超えたことは、超えた後に気づくもの
超えたことは、超えた後に気づくものです。
自覚はゆっくりとおとずれます。
感じられるのは、なんともスッキリしていて清々しい自分。
そして、超えた後は、以前の住処を懐かしく振り返ることもできます。
以前の自分がどうだったかを認めることができます。
認めたから超えられたのではなく、超えたからこそ、認めることができたのです。
すでに以前とは別人の私となっているからこそ受け止めることができるのです。
私は母のことが好きだったんだ。
そして、仲良く、穏やかにお話がしたかった。
だけど思う通りにいかなくて、とても悲しくて、つらくて。
私は母のことが嫌いになりたかったわけじゃない。
ただ、悲しくて、ただつらいだけだったんだ。
ごめんね、ありがとう、母さん。
これが本心から言えるようになることが、いや、この本心にたどり着けるようになったことが、どれほど大きな変化であることでしょうか。
まさに人が変わったのです。
ここまで来ると、身体の反応まで変わります。
日々の生活まで変わります。
まさに世界が変わるのです。
【変わりたい】今いる世界を超えるということー超え続けるということ
新しい世界に移った途端、今度はそここそが私の居場所になり、拠り所となります。
あれほど変わりたくなかったのに、元の場所を正当化したかったのに、変わってしまった後は、移ってしまったあとは、不思議な程馴染み、落ち着き、安心しているのです。
そして間違いなく元の世界に住んでいた自分よりも、様々なことに機能的に動けるであろう自分を感じるのです。
それは、敏感な他者の目には、劇的な変化に映ることでしょう。
生きるということは、超え続けねばならないということです。
今の世界を超えて、次の新しい場所に行かねばならないときも、またきっとこわい思いをするでしょう。
悔しい思いをするでしょう。
とてもとても離れがたいことでしょう。
移ってしまったあとにこんなにも楽になることを体験している今でさえも、です。
人が本当に変わるというのは、そういうことなのです。
【変わりたい】今いる世界を超えるということー超えていくために
今いる世界を否定したままでは、新しい世界に飛び移るためのエネルギーは満ちません。
超えていくには、今いる世界が充分に赦される必要がある。
今いる世界を超えていくには、今いる世界が充分に赦されることから生まれるエネルギーが必要なのです。
そして、今いる世界が充分に赦されることは、自分のひとりの取り組みでは相当難しいです。
それは、自分の意志で、頭だけで赦そうとしても意味がないのです。
身体全体で赦されなければ、今いる世界を超えていけるほどのエネルギーは満ちません。
さて、赦されるということと、言葉のすがたになるということは、関係が深いようです。
身体全体で言葉のすがたになり続けることができれば、今いる世界を超えて、新しい世界に飛び移るためのエネルギーが満ちていく。
私は、カウンセリングという名の、もう一人の人間との純粋な交流こそがそれを助けてくれると信じているのです。
【変わりたい】今いる世界を超えるということーおわりに
人が本当に変わるというプロセスは、なかなかに壮絶なものです。
ちょっと考え方を変えてみよう。
ロジカルに自分を分析してみよう。
私があなたを赦してあげます。
そんな関りの次元ではどうにもならないほど、壊れるほど、狂うほどにエネルギーを必要とする、ダイナミックな人間変化というものが世の中には存在するのです。
私は、そのような本当の変化を超えて、成長していくことこそ、人生の醍醐味だと思っています。
それは、多くの人にとって意識はできていなくても、身体が、心が、魂が望んでいる道だと私は信じています。
私は、そのような本当の変化を超えていく人たちと共に歩んでいける人こそ、カウンセラーなのだと思います。
私は、もっと、もっと、カウンセラーになりたい。
それが、今の私の世界なのであります。
黒田明彦