私がカウンセリングの学習を通し、身を持って学んでいることは、頭だけでわかることと、体験的に学ぶということは、全然違うということです。
今回の記事はそのあたりのことについて書きたいと思います。学校の勉強ってなんかつまらなかったなぁと感じていた人は是非読んでみてください。
【本当の学習とは?】頭でわかるということ
人の話を聞いて、TVを見て、インターネットを見て、物事を理解する。
教科書を読んで、参考書を読んで文字や数字を暗記する。
誰かに出された問題に、ただ答えられるようにと勉強する。
単位、学位、資格を取るために必要な勉強をする。
私たちが普段やっている、このあたりの学習は、大体頭だけの学習になります。
それは、頭だけでわかったつもりになっているという状態。
実際は何も身についていないことが多いので、時間が経てば、ほとんどきれいさっぱり忘れてしまうものです。
それとは別に、世の中には身に迫る学習、体験学習というものがあります。
それは、わかってからやろうとする学習ではありません。
やってからわかろうとする学習なのです。
それは、覚えようとしなくても、忘れることのない体験となって残るものなのです。
【本当の学習とは?】やってみてから理解する
私がカウンセリングの学習と出会って学んだ大事なことは、〝とにかくやってみる”ということです。
物事を理解する場合、やってみて理解するのと、やらずに理解するのでは身体に受ける影響が全然違います。
誰かに説明を受けて、その説明を理解するということと、実際に自分でやってみて、それを身体で体験的に学ぶということは全くもって違います。
本当の学習とは?
本当の学習とは、私という感覚が伸び広がり、深くなっていくような学習です。
意欲、関心のもとに、私ごととして学習が進み、身につく、生きた学習。
それは、他の誰かのためではなく、直接自分のための学習となっているという実感をともなうものです。
自分が欲する。
わかりたい、知りたい、証明したい、明らかにしたい。
そんな、強いエネルギーをともなうものです。
それは、そのエネルギーに見合った自分自身の体験があるからです。
人は、自分にとって必要なところまでしか、学ぶことができません。
人は自分の体験を現実化したいとき、強く学習に向かうのです。
【本当の学習とは?】本当の学習に出会うと
本当の学習・体験学習に一度深く出会うことができると、自分の中で、頭だけでわかっているものと、体験的に学習できているものの区別がついてきます。
自分の中で頭だけの学習と、体験学習の区別がついてくると、世に出ている様々な情報が、頭だけで理解されたものであるか、本物の体験的理解となっているものかの区別もできるようになります。
薄っぺらい情報と、身体の芯に響くような言葉の区別がつくようになるということです。
それはつまり、自分の目で、本物の学習者を見分けることができるようになるということですね。
【本当の学習とは?】知識と技術と体験と
カウンセリングは手法がわかれば、誰でもすぐにできるようになるものでしょうか?
たとえば、私が学んできたところのカウンセリングで言えば、
相手の言葉の相(すがた)をそのままに聞かせていただく。
これを頭で理解するのと、体験的に理解するのでは天と地ほどの差があります。
これを頭だけの理解で表すると、
相手から聞いた言葉を間違わずに自分の声にして、相手に伝える。
そうすると、相手は相手自身の言葉と向き合うことができて、自己理解が深まる。
大体こんな感じでしょうか。
なんだか、とてもシンプルな理解で簡単そうですね。
そしてそこから期待できる効果もなんとなく予想がつき、たかが知れているような気がします。
では、この取り組みを体験的に理解するとなると、どうなるでしょうか?
体験的理解の実際
先生:はい、では、とりあえずやってみて。
私 :は?なんでやるんですか?やるとどうなるのですか?
先生:そんなものは、やってみて自分でわかりなさい。
これがカウンセリングの学習の始まりです。
頭だけの学習に慣れている人は、大体ここで止まってしまう。
まずやってみる、が、なかなかできない。
それが何のために必要で、どんな効果があるかを理解してからでないとできない。
そんなところから始まります。
多くの人が説明されないということに抵抗を感じるようです。
失礼を感じるようです。
不誠実を感じるようです。
だけど、先生は何も説明しようとしてくれません。
頭だけでわかるということを促進したくないからですね。
そこには、やってみるという選択肢しかない。
逆に言えば、そこまで追い込まれないと、〝まずやってみること”ができないほど、私たちは頭だけの学習に慣れ親しんでしまっているのです。
まず、やってみた…、そしたらどうなる?
多くの人は、しぶしぶと、一部の人は、意気揚々と、とりあえずやってみます。
相手の言葉の相(すがた)をそのままに聞く。
とりあえず、先生の見よう見まねで、相手の言葉を聞いて、それを繰り返そうとしてみる。
すると…何か、とてつもなく強い違和感を感じる。
そして、はっきりしてしまうのは、自分が相手の言葉をそのまま繰り返して声にすることが、全然できないということ。
相手の言葉をすぐに忘れてしまって、全然思い出せない。
空白になってしまう。
え、こんなにできないものなの?
で、この強い違和感はなに?
もしかして、私今、全く初めてのことを・・・やってるの?
カウンセリングどうこう、以前に、〝相手の言葉をそのまま聞く”ということの、どうしようもない難しさに、身体いっぱい直面する。
そして、私は、〝相手の言葉を聞いても、すぐに忘れてしまう”のではなく、〝そもそも相手の言葉の相(すがた)を聞けていなかったのだ”という事実に出会っていく。
やってみなくては見えないもの
全然うまくいかない。
全然、相手にそのままの言葉を返せない。
もうできない。
全然楽じゃない。
なんで、こんな大変なことをやらなきゃいけないの?
もう、やめよう…。
しかし、とりあえずやってみることができたからこそ、見えてくるものもある。
「聞いてくれてありがとう…。」
えっ・・・?
相手が今まで見たことのないような穏やかな表情で笑っている。
え?
なんで?
なにこれ?
何が起こった?
なんか、わかんない、わかんないけど…。
なんか、私の取り組み、相手に効いてる…の?
知りた…い。
私に何ができたのかを知りたい!
知るには10秒、体験には10年
相手から聞いた言葉を間違わずに自分の声にして、相手に伝える。
そうすると、相手は相手自身の言葉と向き合うことができて、自己理解が深まる。
この1節を頭だけで理解するのには、人によっては10秒かからないでしょう。
しかし、この1節を体験的に理解するのは、人によっては10年かかってもできません。
これほどに、頭だけで理解するということと、体験的に理解するということには差があるのです。
【本当の学習とは?】本を読むということ
本は自分の実力までしか読めないといいます。
わかった気になることと、わかるということは全然違います。
読み終わった本の内容をどれだけ自分の言葉にすることができるでしょうか。
読んだ内容をあらためて自分の声にしてみようとすれば、どれだけ自分のわかったつもりと、身についたところにギャップがあるかを知ることができます。
また、本は自分の体験的に理解できている部分までしか読めていません。
つまり、自分の体験的理解が進んでからあらためて同じ本を読んでみると、全く違う感想、印象を持つことができるのです。
あれ、こんなこと書いてあったのか…。
読むたびに読める部分が変わっていきます。
本を読むとはそういうことです。
【本当の学習とは?】実感と体験学習
実感とは、自分の中にありありと、はっきりしている体験です。
他の誰かに説明の必要がないほどはっきりしている感覚です。
自分にはっきりしすぎているので、説明する気すらおきない、説明する必要を全く感じないような体験。
それを実感と言います。
体験学習は、その自分の実感しているところをあらためて、丁寧に自分の言葉にしていくというチャレンジでもあります。
【本当の学習とは?】おわりに
頭だけで分かる学習ではなく、身を持って学ぶ、体験学習。
上記にもありますが、私のこれまでのカウンセリングの学習のプロセスには、先生からの説明はほとんどありません。
とりあえずやってみなさい。
そして、ただ、あなたの道を行きなさい。
私は、カウンセリングの学習を始めてから、ずっと先生からそんなメッセージを受け取っているような感じがしています。
人生は、自分にとって必要なものを必要なだけ学んでいく道です。
自分で感じて、自分で考えて、自分で決めていく。
それが赦されていることを実感していくのが、カウンセリングの学習の始まりであるとも言えます。
ある正解を正しく覚えるのが学習なのではない。
ある正解は、誰かが一生懸命、体験的に導き出した答えのひとつです。
それを当たり前のように皆の答えとするのが、学習ではありません。
自分の体験の世界を探索し、あるひとつの答えを導き出していくことが学習なのです。
多くの場合、自分で導き出した答えは、すでに先人がたどり着いていたものでしょう。
「なんだ、ちきしょう。やっぱり先人はすげぇなぁ。」
面白い学習、身につく学習、何かを生み出すエネルギーをもった元気な学習。
本当の学習、体験学習とは、そういうものだと私は思っています。
考えずに、まずはやってみなさい。
わかるのは、やってみたあとでいい。
黒田明彦