新しい電子書籍を販売しました。今回の記事は、僭越ながら、新しく書いた電子書籍についての紹介をさせていただきます。
興味のある方は読んでみてください。
【苦しい夜を超える】本物の幸せとは…?
20歳ごろから私はカウンセリングの学習を始めているのですが、そこで学んでいるものは、いわゆる一般的な心理学的なものではありません。
そこで学ばせてもらったのは、もっと深く純粋な人間学習です。
あらためて振り返ってみると、私がお世話になっている先生の教えは、深く仏教の影響を受けた、人生の知恵でした。
「頭だけで学ぶのではないよ。」
私は先生に、繰り返し、そう教えてもらってきました。
苦しみを生きている

私は、雇われをやらない生活を続行中ですが、現在のところほとんど収入のない暮らし、貯金を消費していく暮らしをしています。
その中で繰り返し、繰り返し、苦しみを感じながら生きています。
自己否定感、自己不能感、それらが自然に溢れてくる、そんな毎日。
ああ、救いがほしい。
世の中には、魅力的でパワフルな幸せの引き寄せ方法がたくさん紹介されています。
しかし、そういえば、私がずっと聞かせて、見せてもらってきた先生の教えは、静かに苦しみと向き合い、そしてその中から学ぶものだったなぁ、とあらためて思えています。
マイナスをプラスに力強く変えていこうとするのではなく、マイナスをゼロに静かに戻していく、そんなイメージですね。
しかし、その教えによる体現は全くもって軽くない。
ちょっとした発想の転換や、言い方の妙などではない。
とにかく重厚なんです。
思い込めない私
私はこれまで、学習を続けていく中で、思い込むということにどうしても抵抗がありました。
これは、こういうものなんだ。これでいいんだ。
そう、器用に思い込むことで自分の気持ちを操作的に上げるのが嫌だった。
結果的に気持ちが上がるのならどんな方法でもいいじゃないか。
頭にはそんな言葉もかすめていくのですが、どうしてもだめなんです。
なぜ私は、そう思えないのでしょうか。
本物の幸せにふれる

多分、心底ホッとするという体験をしたことが、すでにあるからなんでしょう。
本物の癒し、本物の落ち着き。
そして、本物の幸せ。
それをすでに先生に感じさせてもらったことがあるからなんでしょう。
だから偽物の幸せには満足できない。
本物の幸せ、それは、
「事実にふれていくということ。」
私という経験の世界の外にある、事実に関心をもち、恋い焦がれながら、なんとかその事実にふれようとする取り組みそのもの。
その中にこそ本物の癒し、落ち着き、そして幸せがある。
そう。
本物の幸せは、ただ純粋な学習の中にこそ生まれるんだ。
私は、それをわりと若いうちに先生に、身体全体のエネルギーを通して教えてもらっていたのでした。
よかった。
本物を追い求め、そしてそれに近づいている人が、ちゃんといるんだ。
それが、私には何よりも嬉しかった。
そういう人がいると感じることができただけで本当に幸せでした。
だから私は、偽物の幸せよりも、本物の苦しみを望んでいる。
本物を求め、学習を続ける心こそが、私を純粋な幸せへと導くと信じているから。
【苦しい夜を超える】今回の本のコンセプト

今回の本のコンセプトは、9つの仏教の教えにより、9度苦しい夜を超えようというものです。
学習を続けていくと、本当に、いろいろな気づきが生まれることがあるんですが、人生に長く深々と影響を与え続けるような大きな気づきって、そうそう生まれるものじゃないんですよね。
瞬間的には救われることはあるが、その後はすっかり忘れてしまったりする。
なんだかんだ、結構インスタントな救いってのはあるようです。
仏教の教えは、本当に深い哲学から生まれています。
時代と共に、少しずつ変わってきた経緯もあるようですが、根幹にある人間理解の深さと純粋さはすさまじいものです。
しかし、その深みと純粋さには、私を含め多くの人が、そうそう達することができるものではないだろうと思うのです。
ただ、この苦しい夜を超えるためだけに
ちょっと仏教の言葉を聞いて、その考え方のさわりだけを聞いて、わかったつもりになって、救われた気持ちになる。
以前私は、なんか、それって本物っぽくないなぁと思っていました。
しかし、最近の生活学習の中で、
引いては寄せ、寄せては返す苦しみの波の中で、
私はあらためて思ったのです。
本当に本当に苦しい夜。
ただ、超えていかなきゃならない夜というのがある。
そんなときは、その知恵が本物かどうか、自分の身に一生ついていく本物の教えかどうかなんてどうでもいい。
明日には忘れてしまってもかまない。
明日には役に立たなくなってしまってもかまわない。
ただ、この、苦しい夜を超えるための、一筋の光がほしい。
仏教の教えは、長い時間をかけて事実に静かにふれていこうとした先人たちの強烈なエネルギーの結晶です。
そのエネルギーを少しだけ、少しの時間だけわけてもらって、わからないままでもいいから、さわりだけでもいいから、とにかくそれを頼って、この夜を超えられないだろうか。
そんな思いで先生に教えてもらった仏教の9つの知恵を思い出しながら、私の経験を添えて、書き記しました。
1つの知恵で、1度きりの夜を超える。
9度の夜を超えるためだけの、9つの知恵。
ここに書いてある言葉が、あなたの苦しい夜をたった1度でも救えるでしょうか。
【苦しい夜を超える】「はじめに」の部分を無料公開

最後に、この新しい私の書籍の「はじめに」の部分と、目次の部分を無料で公開します。
この苦しい夜を
9度超えるための
9つの知恵
逆エンパスを9度救う
先生の純粋な仏教の教え
なかなか幸せになれない逆エンパスの私が、辛い夜を超えるため、先生に教えてもらった仏教の言葉を一生懸命思い出してみた。
日本で一番逆エンパスについて文章を書いている人の本②
はじめに
40代も間近にせまり、人生も折り返し地点を迎えている私は、残りの人生で何ができ、何を残していけるだろうという迷いや焦りにまみれ、今、苦悩の中に身を置いています。
苦しいなら苦しくないようにすればいい。
自分の人生は、自分で自由に決めていくもの。
頭の中ではそう思っています。
だけど、私の意志、計らいを超えて、
私の身体は今必要なところに、真っ直ぐ向かっていくようなのです。
この苦しみは、今の私にとって必要な苦しみなのかもしれません。
どうすればもっとこの人生を潤わすことができるだろう?
どうすればもっと私は機能できるのだろう?
誰にも正解を用意してもらえない苦しみの日々を、
闇の中で這うように生きている。
苦しい。
苦しい。
思い通りにならない毎日。
私はこの苦しみに、ただ絶望するしかありませんでした。
「この苦しみを私の力だけでどうにかしていくのは不可能だ。」
とうとう観念した私は、これまで私に繰り返し、言葉だけでなく、身体全体のエネルギーで見せ続けてくれた、私の大好きな先生の仏教の教えについて、あらためて思い出してみようと思いました。
私には仏教の教義に関する正しい知識はありません。
しかし今の私にとっては、それが正しいかどうかというよりも、それが実際に私を救うかどうかの方が大事です。
この本には、私の先生が、その身体全体で示してくれた教えを私自身の体験を添えて思い出しながら書き記しました。
ここに書いてあるのは、私が先生に教わり、見せてもらうことで、過去に実際に感銘を受け、救われた言葉であり、知恵です。
仏教の知恵のひとつひとつの私の理解はまだまだ浅いのかもしれない。
人間を根元から変えるほどの深い信心には達していないのかもしれない。
だけど、それでも、1つの知恵を思い出すたびに、その日の苦しみ、その夜をしのぐことぐらいならできるかもしれない。
たとえ、次の日には役に立たなくなってしまうような浅はかな理解だとしても、私は、ここに記した9つの知恵で、9度の苦しみの夜を超えていくことができる。
もし、あなたが今まさに、苦しみの夜を迎えているのなら、
ここに書いてある私のどれかの言葉をほんの少しの間だけでも信じてみてほしいのです。
それがあなたの人生を変えるほどのものでなくてもいい。
ここに書いてある1つ1つの知恵が、あなたがこの苦しい夜を、ただ1度でも超えていくためのエネルギーになってくれれば。
それでは、18000字程度の短い書籍となりますが、少しばかりお付き合いください。
目次
はじめに
1度目の苦しい夜を超えるための知恵
「諸行無常」
2度目の苦しい夜を超えるための知恵
「諸法無我」
3度目の苦しい夜を超えるための知恵
「一切皆苦」
4度目の苦しい夜を超えるための知恵
「涅槃寂静」
5度目の苦しい夜を超えるための知恵
「たった独り」
6度目の苦しい夜を超えるための知恵
「他力」
7度目の苦しい夜を超えるための知恵
「自利利他円満」
8度目の苦しい夜を超えるための知恵
「無明の光」
9度目の苦しい夜を超えるための知恵
「仏の名を呼ぶ」
おわりに
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